愛尽であり、客体を愛人という。
本日の彼女の死が、仲睦まじい男女の絆をより一層固くするのではないかと考えている。
奉るつもりはない。
あそこまで愛に溢れた状況を視覚で捉えたのは初めてだ。
愛というものの答えは一個に定まるものではないのだが、あれは紛れもなく答えだった。
ココロで繋がるためにはどうしたらいいか。
信じるとして、何を根拠に自信にしたらいいのか。
これらは、コトバで説明できるようにしてしまっていいのか。
さっぱり分からない。
愛尽くすわけだが、細胞レヴェルで生まれ変わる愛する人を愛するためには
日々必死でなければならない。
たしかに、昨日のキミと今日のキミは、接続しているが
昨日のキミと今日のキミは、相異なるキミなのである。
美しい死に際で、俄かに信じられないが
これもまた現実なのである。
一人になって、公的なワタクシから離れたら、心臓が悲しみでやや痛い。
芸能人の死で、他人の死で、ココロが痛むのは、初めての経験かもしれない。
彼女は、いったい何者なんだとも思っている。
しかし、悲しみに暮れることは、彼女自身が望んでいないらしい。
どこか痛みを抱えながら、生きていくしかないのだが
確実にココロに留め置かれたキモチを
やや持て余している。