新宿で飲む。
本当は、飲み明かしたいけれども、
明日という日はやってくる。
だから、それなりに自重し、今に至る。
今は、中央線の車両内にあって、吊革と共に揺られる時分。
ギタリストの旧友との飲みだった。
やはり、この歳になると、あからさまな、いや、期待できる成長の幅は小さくなる一方である。
だから、今までの自分で社会と対峙していかなければならない。
だからこそ、先のために、今をどれだけ充実と発展の時間に割けるかで決まる。
後悔しかない。
後悔してと取り戻せない。
あととき、あれをしておけばよかったなどという、タラレバなど
とにかくエネルギーの浪費なのである。
昔から変わらないものが何なのか判別してくれる友がいることが、どれほど財産になるか。
今はまだ、発展、展開、成長を念頭において、加速し続ける自分において、激変する自分を定義づけてくれる存在の有り難さたるや。
結局、今の自分も過去の自分の基礎は共通であるのだから、逃れられない。
冷静な分析を要求するのである。
主観は、どこかファンタジーであるから
もっと現実的な圧迫をどこか必要とする。
余分な脂、溢れ出る余計を取り除いた中で直視すること。
さて、旧友も夢の着地地点に悩み、必死で前進しようとしている。
私以上に、目的地が定まらない世界かもしれない。
夢とは、どれほどまでに、罪なるスィングなのか。
現実の私をひどく不安定にさせるものである。
しかし、旧友により、その動揺の振れ幅を少しばかり抑制してもらったと考えることは、ひどく真っ当ではありませんか?

と思いつつ、終了っ。