こんな若輩者が、研究もしていないただの世間知らずのオトコのちょっとした言い分。

文学的才と口頭による表現の能力は、どこか関係がありそうだ。

まずは、話せるかということに始まり、終端は、おそらく、細部の細やかな描写、円周率を求めるときに行った、円を限りなく細分化していき、長方形に似立てる作業を丁寧に行えるかに近い。

意味わからないだろう。申しわけない。

つまり、瞬間のキモチは多層構造を採っているのであるから、一面的な、何か一つの描写で表現しきれる類のものではない。

より適合的に、より即した、よりシンクロしたものを求めるなら、そのような考慮が必要になってくるであろうということである。

そのときに初めて、ココロが動かされ、感動をするのである。

文学が、人間のキモチを正確にとらえる使命を持つというのなら、人工知能だのロボットだの議論の前に、最初にニンゲンではないのにニンゲンを創造しようとしたものは、文学であったということに疑いを容れることができないであろう。

物書きなら、すらすらと相手に伝える術を持っているのであるから、やはりそうだと思われる。

書ける人は、話せるはずなのだ。逆も然り。

 

と、ぼやっと感じた。