満たすということ。満たし切ること。
それでいて溢れさせること。
これが単純な成長のサイクルではある。
ただ、溢すということだから、自分がその掌から零れ落ちてしまうおそれは全くないわけではないから、ここで不安になるのさ。
しかし、私以上の器と魅力を兼ね揃えたキミを私独りのチカラで発展させることなど出来ないだろうと思う。
私以上の器と魅力を兼ね揃えた師というものは、時間であり愛であり人生であるはずだ。
だから、肉を切らせて骨を断つかの如く、進まなければならないことの方が多いと思われる。
それが現実である。
現実に逆らうこと、それは、事実を事実と認めない空想家の任務であり
現実を生きる私たちがメーンに据える必要はないし、してはいけないのだ。
何かを全て欲しがったり、何かが全て思い通りになって欲しいとか、
何もかも全部全部言うのは、幼子のようである。
このような成長をすることが、互いの幸せを追求することだと思われる。
だから、だから、何とかして、そのような生き方を履践できればと。
それは、例えば寂しいことを寂しいと言わずに我慢して不機嫌になることを意味しない。
そこは素直に感じるとして、その先の話。
今まで出来なかったことなのだけれど
季節は移り変わり、居所も変更し、環境とある種の時間の濃密さを得たのだから、出来るやもしれん。
事情が変われば帰結も変わるから。
フルオブ。
満たすためにどうすればいいか。
目を閉じれば、クリクリした可愛らしい両眼がいつも思い出される。