Le bonheur est de connaître ses limites et de les aimer.
幸福とは、物事の限界を知り、その限界を愛することだ。
自分を取り巻く様々な事象について、等しく限界は存在する。
體育會を生き抜いた以上は、限界を作ってはならず、
練習ハ不可能ヲ可能ニスという名言を残した小泉信三元塾長に恥じない生き方をせねばならないのであるが
あの慶應義塾の強い言を超えて存在しているのが、普遍の原理なのである。
超えられない壁は、常にある。
何かをしようと思い行動する。それには限界がある。
相手が拒絶したからではないのに、やりきれず留まることになる。
致し方ないのである。
限界を画すことを忘れれば、無限に膨張して、それは肥満であり、不健康な状態なのである。
自分を内から律すること、それから、外界からの運命とか偶然とか人情とかを挟むことによって、見事に立ち振る舞いに型ができる。
およそ、自由奔放なときは、誰かに歪みが生じている。
時に、愛することは、自分と相手の問題だという回答が散見されるのだけれど
この世界に自分と相手以外に人間が存在する以上、盲目的で聞き分けのないお話なのである。
だから、やりきれたところの中で精一杯愛することが、最も調和のとれた愛し方ということになるのではないでしょうか。
ただ、当事者としては、脇目もふらずキモチを注ぎたいと考えるのが常だから、そこに微妙なプライオリティーに対する不満と侘しさと寂しさが湧き出てくる。
この世を大事にするのか、秘め事の延長を大事にするのか
この先生き続けていく上で、常に難しい選択を迫られている。
そして、その応酬によって、ココロの中で葛藤が口火を切る。