手つき、足つき、目つき等々と同類としてみた、考えつき。

さて、日本時間23日の未明に、NASAが発表したのは、地球外生命体の存在だけでなく、太陽系と似た惑星の集まりがこの太陽系と別に存在するということ。
代表者は
この宇宙に我々以外に何かが存在するということについて、10年20年のうちに答えをだすことができる
と語った。
我々以外に何がいるのだ?
このような思考は、ファンタジーやフィクションやSFを創り出すことに似ているけども、遥かに難易度が高く、もはや別物と言ってしまってもよいかもしれない。
ニンゲンが想像できることは、なんでも実現できると
某会社がCMでキャッチコピーとして宣伝しているのだけれど、本件は想像できますかね?
どんなモノ?者?物?がどんな生活を送っているのか?文明は?言語は?
身体の特徴は?空気は?アイポンは?
いま、認識できるモノとは全然異なるもので、現在認識している社会を形作ることができますか?
ということ。
だから、想像しえない。
その宇宙空間におけるお隣さんたちは、どのように生きているのか。
お隣さんの顔がやっとわかりそうになった。
しかし、いま、現在地もよくわからない。
宇宙の果てのその外側には?
考えても考えても分からないという言葉は、このためにあるのだ。
宇宙の外側にはなにがある?
と例の疑問に立ち返ることになる。
よくわからない問題だ。
私たちを、超える巨人が
箱庭のように私たちの高度な日常生活を眺めているのであろうか?
ファンタジーでさえ、たすけてくれない。なにも想像できないのだから。

しかしまぁ、こんなことを考える人たちの頭のなかには、戦いがあるのか?
人の死は?
無縁であり無頓着だからこそ、ワクワクしてるのだろう。
戦争など、宇宙の解明の前にひれ伏す程度のものであろう。
何人を殺して、領土を奪って、国をつくることよりも、わからないことを解明する素直さとフットワークな。

ということなのだ。
箱庭で自由に動かせてもらっている私が一生懸命やらなければならないことは、争いではなく、解き明かすということなのである。