みんなは、すぐ何かしら意見を述べる。
ただ、幸いにも世界を斜めに見て生きていない私、うがった見方をしていない私には、適切な生体防御反応と反省の念からでた老婆心にしか思えないわけである。
前者についていえば、やはり強度の高いエネルギーが突然降りかかってくれば、咄嗟の防衛反応も、それに見合ったものになるのは、自明の理であろうと思う。
後者についていえば、どんな人間も満足に後悔の無い生き方はできないという若干ネガティーヴな原理が根底にある。
即ち、その人にとって過去に失敗したこと、反省したことについて、目の前の大事な人が悩んでいれば、詳細は語らずとも心の内を開示して、経験談からの教訓を述べるわけである。
このとき、人によって老婆心の程度は様々で、とにかく経験談とそれに基づく教訓を神格化してくる人間と、選択方法の一例として弁えのある提示をしてくる人間とがいる。およそ、こういう区分けであろう。
さて、今後いかにして、過ごすかなのであるが、まだまだ決めておく必要はないが考えておく必要がある事項は、ごまんとある。
それに気づかずに出発することは、準備不足さを感じずにはいられないが
こと人生に関しては、完璧な準備ができるなどということは、およそありえない。
途中で、拾い、補填し、フォローしあうしかない。
大事なことは、目的地がきちんと定まっていることと、それに対する熱意が十分かどうかではありませんか?
どの瞬間もその時点で最高の集中と思いやりで乗り切る。
その後は、先を信じて耐え忍び生きていくことが、普遍の原理ではありませんか?
だから、怖さや不安などない。
根拠のない自信があり、そして、それには学術的裏付けの乏しいが説得力がある。キモチの問題。
結局、何時だって、勝負はここから なんです。
そして、この言葉のチカラが発揮できる場面は、既述のとおり
目的とそれに対する十分な熱意があるところなんです。
そうではありませんか?