重さとは、熱く煮え滾るものであり、恥ずかしさであって、窮屈でもある。
避けるために、距離をとるし、照れ隠しをするし、ダイエットを命じられる。
しかし、昔から、重さがあるものは高価であると言われてるはず。
貴金属は、重い。
わたしのキモチも、重い。
辻褄の合わない返事をして、とにかく距離を取りたがるのは、若気の至りであろうか。
そこの理論的整合さについて、問うてみることをしないのは、理屈が追いついていないからか、果たして、盲目であったのか。
いや、ショックで思考を止めてしまったからであろうか。
いずれにせよ、事後的に振り返れば、あの日あの瞬間、フワフワした曖昧な時間が流れていたのである。
今は、それと異なり、真剣に受け止めてくれるヒトを見つけた。
彼女の好奇心と吟味や分析、自分に引きつけて結論を素直に、それでいて、必ず話してくれることに助けられている。
当たり前のことができるヒトに出会ったということであろうか。
愛し方を知っているヒトに出会えて、光栄なのである。
わたしも、わたしも、もっと頑張らなくてはならない。
最近、共同戦線を張ることや、当初掲げた目的に忠実に行動すること、その他様々な更新を遂げたワタクシであるから
うまいことやろうと画策しているのである。
重さ、この点については、助けられた。
それだけ繰り返す。