さて、恋愛という世界において犯罪者たるワタクシ達でありますが、カップルだからこそ、どのように振る舞うべきかが問題となるのです。
日々、別々に行動しなければならないこともあって、そんなときに、さみしさや不安を否応なしに感じるのです。
そして、そのときに、果たして、これが共同行為なのか疑いたくなり、大事な関係が続けられるのか、心配になる。
それぞれの行為が、当初の意思の連絡どおり進んでいるのか、疑念を抱くことになるわけである。
だからこそ、どの範囲で共同してるといえれば、共同正犯といい続けられるのかが問題となるわけです。

まずは、犯罪共同説。
複数者の行為が同一の犯罪に関わり、同一の犯罪をともに行おうとする合意があってはじめて共同正犯が成立。数人一罪の思想。
他方が、行為共同説。
共同正犯は、各自それぞれが自分の犯罪を遂行するものであり、全体として実現された違法事実につき各自の故意・過失に従って処罰される。それぞれの行為が関わる構成要件が異なっていても、また、一定の犯罪に関する共同遂行の合意が何ら存在しなかったとしても、各自それぞれに個別に共同正犯が成立する。数人数罪の思想。

前者の犯罪共同説のなかで、完全犯罪共同説をとるべきだと思っていたが、そうではない。
全く同じ行為をやっていなければ、共同正犯が成立しないのだから、日々の生活の中で別個に行動してる以上、その活動から生まれるものは、共同行為の結果とは言いづらくなってしまい、後にも先にも残らないと思われるからである。
ここは、やはり、複数の者がそれぞれ異なった構成要件に該当する行為を行う場合でも、それらの構成要件が同質的で重なり合うものである限り、その重なり合いの範囲において共同正犯の成立を認めるべきなのである。これを部分的犯罪共同説という。
だから、二人に関する行為の中で重なり合う部分については、専ら共同正犯とみるべき。
それ以外にまで及ぼすと、どうにも、共同行為と内心で考えることができず、孤独が独り歩きしそうなのである。

さて、行為共同説は、各自の行う構成要件該当行為の間に全く重なり合いが認められない場合であっても、共同正犯を肯定する。
そうすると、自分のくだらないことまで相手に結果との関係で何かしら要求することになり、それは、相手に過度な負担を、かけるわけだし、押し付けともとれて、息が詰まりそうになるやもしれない。そうすると、採用し難い。

同質的で重なり合う部分のみをとらえて結果との関係で熱を要求し
それ以外の部分は、端的に尊重しつつ生きていかねばならないのでは?と思うわけである。
これは、日々有限なのだから、効率的に二人の目標を達成するための1つの方策である。
ストレスや不安を抱えないためにも
また、全力で楽しむためにも
見極めが肝要なのである。

ワタクシたちは、共同正犯なのである。
ワタクシの一挙手一投足すべてが、結果との関係で全て重要だとは言えないのであるから、自分を出しすぎないように、また、相手に要求しすぎないようにもする。
自制心と客観視なのである。
しかし、どうしても、キモチに熱が帯びるときは、優しくしてほしいね。
以上は、理論的な話に過ぎないのであって、現実の生きた素材を扱う場合には、多分な補正、微調整がどうしても必要になってくる。
だから、時に繊細に。
まぁ、でも、それだけ大事なら、心遣いが苦になることなんて、なかろう。