思考(≠思想)が切り替わったと思われる。
今までの私の正攻法は、なんだったのかというところを考える。
ギリギリでいつも生きていくことであった。
先のことが不透明なのは、嫌いだし
だからこそ、綿密に計画を立てて動きたいのだけれど
本当の勝負とか物事それ自体とか運命とかって、事前準備が効くような代物ではないんだ(全く無意味という趣旨ではない)。
だから、事前準備ができてないから、負けるとかわからないとか、そういう発言自体が苦しい言い訳なのである。
世の中、結果。
結果でアピール。
結果こそ全て。
過程を見てくれる人は、聖者だと思われるが?
過程の美しさがモノを言うのは、なんだい?
生きていくことはシビアな世界で、過程にかまけるなら、それは、およそ怠け者であると思われた。


ただ
過程の美しさを求めるし、評価してくれるのは、他でもない愛が取り巻く世界観においてであろう。

思考の切り替え。
普段時間がない生活をしてるから、時間があるときに丁寧にやりたいという欲求を抱えている。
そして、時間が生まれる。
生まれたら、丁寧に綿密に気の済むまでやろうと考える。
バット。時間は有限だ。決して、自身が望むような時間は手にできない。
そしたら、とにかく終わらせてから、考える。付け足す。
プライオリティを決める。
目の前のタスクとの関係で要らないものを見極める。
出来ないものをやろうとするヒーローにはならない。(あぁ、これも過程を美しいとする題材かい?)
出来ないものは割り切る。ここで、諦めるというと、オトコではないから、言葉選びは慎重に。
それが効率的に生きることではないか?
全てを手にしたいなら、捨てることに恐れず、現在必要なものを見つけ出し、着手しなければならない。
まったく、人間は
時間があれば時間を(実は無駄に)使おうとする。
お金があれば少しずつ贅沢を始めようとする。
愛は定量的に評価できないから、馴染めない。
地位や権力があれば、濫用する。
何かが溢れているとき、どう過ごそうとする?
人間は精密にできているから、
一度楽をすれば、それに適応してしまう。身も心も。
まったく有能過ぎて、損をする。

完全に切り替わっている。
聴く音楽も変わった。
オアシスは変わらない。デモ音源みたいなサウンドが愛らしい。
オリアンティは、相変わらずかっこいい声で強そうに歌う。
自分の中の様々な要素で、本当の自分をだせていないものがきっとあると思う。
丁寧に見つめてみよ。
そこは一貫性がとれていないと批判するべきところではなく、ちょっとした恥じらいなのである。許してやれ。