大気に恋する。
キスもできない気体に対して、愛おしく思う。
こいつらは、寂しさを分かってくれている。
恋のせいで、2人で過ごす時間を邪魔するものが、どうにも悪に思う。
少なくとも邪魔だと思う。
人生は有限であって、ヒトは平等に終末を迎える。
もちろん、私はタイミングよく週末を迎えている。
恋をするにとどまらず、夢中になっていることをやっているときは
その有限の時間の中に無限を切望してしまう。
無限のほうが広い概念で、カヴァーする範囲が広いと思われるのに
そこの外に有限という概念を置いている。
論理矛盾、理屈っぽさの消滅。
けっきょく、ココロを情熱的には燃え上がらせるものは、そのような不思議さが根底にある。
炎はどうにも美しく、反面、燃やし尽くしてなきものにしてしまう。
この炎を無限に燃え上がらせるために、酸素だけを要求する。
しかし、現実は、そう甘くいかず、窒素や二酸化炭素やアルゴンやらが混入している中で燃えていかざるをえない。
これが、歯止めなのか?
そうか、でも、たしかに、この世が酸素だけだったら、植物はいない
火はどこまでも延焼を続ける。
これでは、結局自分の首も絞めることになる。
あぁ、だから、障害とか邪魔とか妨害とか、これらは、えてして日常生活の日常的なタスクなのであるが
これらがあることによって
最も最高で最適な燃え方をしているのではないかと考えることができる。
だから、この黙示の優しい歯止めを無視してないがしろにして進んではいけないのかもしれない。
だから、微妙な痛みを感じつつ幸せになることが、最良の選択なのかもしれない。
そしたら、あと15分しか会えないとか、その切なさを大事にすることが最も幸せになる方法だというのか。
だとしたら、寂しさが少なからず幸せを担保している。