この二日間、自分の肉体を追い込んでみた。
たった二日間で何が変わるかと思うのだけれど、でも、何もやらなければ全く変わらないから。
とにかく、いまは、変化というか、膠着状態の、はりぼて状態の自分を一度壊して、かき乱してやりたかった。
おかげで、カラダは久々にキレキレだ。これなら、どんな困難でも立ち向かうだけの自信とフットワークを持ったと思える。
そして、思考が整理された。久々で。思考が整理されるだけでなく、考えが固まった。今後の身の振り方が同時に、定まった。
これが、本当の覚悟というべきものであって、今まで私が覚悟と呼称していたものは、大したことのないものであった。
過去の自分。
私は、過去を振り返るのが嫌いだ。
なぜなら、思慮浅薄、短絡的、男気のなさ、自信のなさ、その他、未熟な自分を思い出すからである。
とにかく、自分の成長は現在とそれから、未来にしかないと考えている。
それに、往々にして、過去を振り返るときは、美化しがちだ。
生の事実だけを覚えておきたいから、とにかく、脚色のない、生の事実を。
だから、振り返るのをためらっていた。
しかし、過去だからといって、一様に否定することは、大変失礼なことではないか?
現在の自分がこのように存在できるのは、過去の自分のおかげだ。
現在の自分の思想など、時間的裏打ちのない薄っぺらいものに過ぎないときもある。深みのないこともある。
耐えがたき失敗と後悔の連続を基盤として生まれた過去とは、少なくとも、消極的要素として明確に光っている。
明確であることが重要だ。曖昧ではない。
そして、過去の自分にも、現在の自分に劣らない部分がある。むしろ、それ以上ではないかと考えさせられるところがある。
そう、それを発見した。見つけた。
それくらいの強度の覚悟が欲しくて、ここ最近、血眼になって探し、とにかく建設をしていた。
しかし、意外にも、答えは自分の中に在る。
私が、もっとも強い覚悟で臨んでいたあの時期を思い出した。
あの良い意味で、怖さをしらず、自信を失うこともなく、大事なヒトを信じて生きていたあの瞬間を。
これも、まだ発展途上だと言われれば、そうなのかもしれないが
現在、最強の覚悟を手に入れた。
背中と態度で、魅せてやる。
恥ずかしさと怖さと、ちょっとした自信のなさ、焦りで、覚悟は崩れてゆく。
なんとも、傷だらけの覚悟を握りしめていたが。
私が、覚悟をもって選択したことは、かなわなくとも、恥ずかしいことではない。
人生を賭して、何かをやったとき、叶わなかったことは、泣いてオワリにしよう。
今まで、そうやって生きてきた。
気障ぶって、思考を展開して、かっこよく生きようとしていた気がする。
あほうなんだよ、まったく。
オトコらしく生きよう。
また、そういうキモチを素直に考えられるメンタリティに戻った。