3つ目。
あらゆるモノゴト、物体に限らず観念的なものでもよいが、少なくとも二面性、基本的には多面性があると言える。
だからこそ、生きていく中では、ヒトを多面的に捉えていかなければならず、また当然に自分についても、多面的に発展させていくことが肝要である。
後者については、雑な言い回しをすれば、面白いニンゲンになるために重要なファクターなのである。
これは、私が尊敬する先輩に頂いたアドヴァイスであるから、今も私の生き方の軸の1つに据えているのである。
さて、多面的なり二面性なりというのであるから、ヒトを捉えていく上で、様々な観点を持つ必要がある。
正解、不正解、形式、実質、賛成、反対、酸性?、アルカリ性?!、長所、短所、ポジティーヴ、ネガティーヴというように。
パズルのピースのように、向きをかえて、その都度状況にあてはまるものを探していくのである。
そして、その根底には、他人への信頼があるのではないかと思う。
原則、このような動きをするだろう。
しかし、この人の性格なら、こうするやもしれぬ。
こういった思考過程の中で、同じ行為に彩りを与えていく。
私にとっては、他人の行為がカラフルに見えている。理屈からいえば、誰しもがカラフルに見えるのだがな。それは、措く。

悪いところがたくさんあるということは、良いところがたくさんあるということだ。
そこには、単純な反対解釈はえてして、相容れないのだが、解釈の手法としては基本におくべき姿勢である。
そもそも、それだけ項目があるということが、それだけで尊いことではないだろうか?
それは、ニンゲン的な魅力に溢れているということである。
未だに原石にとどまるのかもしれないが、それは自信を持つべきことなのである。
カラフルなニンゲンよ。

この議論の延長には
自己の全面的客観化がまっているように思う。
つまり、あらゆる自分のピースを状況に応じて、自由自在、適材適所、事前確定型ではめ込むのである。
これでは、感情や反射の入り込む余地が見出せなくなるのではないか?と危惧しているところである。
客観化が骨組みだとすれば、主観化は肉だ。
結局のところ、ニンゲンは、これらを分離させて利用することができないのが、通説であると思われるからである。
引き際が、いったいどこなのかは、今後の課題になりそうなのである。
血は?
骨と肉と血が無ければならないのではないか?
じゃあ、血に代わるものとは?
ここも、課題である。