偏頭痛が起きるとどうなるかというところから、説明しておくと、わたくしの場合は左脳の中心部がズキズキと痛む。この痛みを容易に取り除くことができず、耐えることしか許されない。
クスリは飲まない性質だから、睡眠と相当な時間を要する。
わたくしの偏頭痛の厄介なところは、原則2日間の療養が必要になるというとことであろうか。それは、睡眠時間の多さにかかわらずという点が、なんとも辛気臭いのである。
わたくしは、それなりにこの頭痛の痛みに対する耐性はあるほうだと思われる。小さいころから、この状態でスポーツを続けたり(休むほうがやりきれなくなるから)、痛みも脈拍の大きさに比例して、増すのであるから、ただのどM気質なのではないかと常に考えさせられたものである。しかし、それだからこそ、今があるのだが。
見かけによらず、それなりの繊細さをもつわたくしであるが、それにしても、内面もそれなりに成長し、偏頭痛を被る頻度もかなり減少した。それでも、久々に対峙すると苦しい。
偏頭痛の効果を他にあげるとするならば、左目が開きづらくなる傾向にあること、それから、最も重要な効果としては、思考が活発になることだろうか。
後者は、おそらく、脳内に痛みを感じることが多い結果、わたくしのカラダの関係各所が、ここぞとばかりに注目するからであろうか。神経が脳に集まりやすい気がしている。だから、感度良好という事態を引き起こす。
ここでは、突っ立っていても、歩いてても、勝手に思考が始まるから、わたくしの人生の最終ゴールとの関係では、非常に大切な時間であり、じつは、使える時間なのである。
痛みが生であるというならば、この事態こそ、如実に示していないか?
さて、思考するに適切な機会であるから、内なるわたくしの話を。
熱中、狂気、情熱、発火、放火、臨界点突破、制御装置のメンテナンスの不具合、ブレーキの効き具合、野性その他、いろいろな言葉で表現できるであろうか。
わたくしのその性質は、自分の能力を発揮するためには一役買ってはいるものの、熱せられることによって、わたくし自身の骨まで焼こうとするのである。
自分は、とうに熱いと感じる感覚を失っている、つまり、皮膚の感覚を処理する体性感覚野の機能は失われているのであるから、もはや、自分が行き過ぎなのか、焼かれているのか、およそわからない。
誰かにとめてもらうか、周辺の状況から把握するしかないのであるが、このとき、視覚が果たして機能しているのかは自信がない。
そうすると、やるべきことは、このハイリスク・ハイリターンのわたくしを優位に立たせることではなく、いかに紳士的で冷静沈着、冷たい自分のまま求められた成果をあげることができるのかについて方策を考えることではないか。
氷と炎の関係については、高温の炎が氷を融解させていくことで、勝負は目に見えているようだけど、世の中永久凍土もあれば、液体窒素も存在する。すなわち、炎にも負けない自分を作ることは可能であるということである。
そして、問題はいかに、氷で自分を作るのかという点であるが、これは、いまだによくわからない。
たとえば、全体的に反応性の高いわたくしが、様々なことを知ることによって、その初めての感動を消失させることができればよいのではないかと考える。
常にこれから何が起こるのかを慎重に判断する知恵を持つ者になればよいのであろうか。
しかし、これでは、生の反応をお届けすることができず、逆に空虚なコミュニケーション空間を作り出してしまうのではないか?
人間的な生活とはいったい何であろうか。すくなくとも、エピメテウスとは言われたくない。
あぁ、まったく、頭を抱える問題よ。
もし、熱いわたくしを外から、冷却してくれる存在がいたなら、もう少し、リラックスして生きていくことができるのだろうか。