ここ数日は、定点化された居場所において、ひたすら時間を過ごしている。
朝、昼、夕方、夜の変わり目を全く感じることができない地下暮らしのような。
せめて、自分で時間を区切ってみるのだけれど、気休めに過ぎないと結局嘆いてしまう。
陽射しを浴びることの利点は、ほぼ規則正しい体内時計を得られるようになること、後の睡眠のために睡眠物質を分泌する準備をすること、それから、ヴィタミンDを生成することであろうか。
それは、専ら内面の作用に着目した考え方であって、例えば、もっと視覚的にも大きな影響を与えるであろうことを忘れている。
思いのほか、内向的に過ごしていることを証明することとなっているかもしれない。
ある地点において、様々な関係が形成されている。
ある関係がうまくいく理由は、お互いがほぼ同列な地位にいるから、同じ目的をもっているから、互いに補完しあう関係にあるから、何かがマッチングしているからということだろうか。
とにかく、どちらかが相手方の想定していない、もしくは対応しない事柄を所持していれば、たちまち崩れてしまうようなことを指している。
私が一方的にキモチを抱いてしまった結果なのだから、申しわけないのだけれど
やはり、もう元の形に戻るのが難しいのではないかと考えている。
キミは、現在の状況に引き直してみれば、当事者になってしまっている。
私は、やはりそんな当事者であるキミに、言えないことができてしまっている。
何でも言う手筈で、ここ数日生きてきたのだけれど
どうにもココロの中で不一致が生じてしまっている。
このズレが、情熱的な自分に冷水を何度も浴びせてくる。
フェードアウトは、たしかに切り札の一つになっているかもしれない。
だけど、それ以上のジョーカーがあるんだ。
これは、このままのこの関係が続くことで起きてしまうかもしれないんだ。
否応なしに。
それに気づいてしまってからは、それが一番怖い。
フェードアウトと違って、無意識だとしても進行してしまうこのジョーカーに自分自身が脅えている。
他方で、これは、客観的にみれば
友情の消滅を引き合いにだしてしまっていることになるのかもしれない。
しかし、私は既述のとおり、それはやってはいけないことだっておもっている。
そして、そのように決めている。
ただ、何をやっても、そのよに捉えられてしまう現実に、直面している。
気づいたら、やはり、がんじがらめで
少しでも動けば、至る所から出血しているのである。
主観も客観も縛り付けられているから
手の打ちようがない。
私がわがままなのかもしれない。
何か捨てなければならないかもしれない。
何を捨てるかと聞かれて、決め切れない自分にも苛々するのである。