さて、ゴールド免許を手に入れた。
まぁ、この色と運転技術の完成度は、必ずしも親和的なり、現実を表示しているとは言えないから、私の場合は、あくまで形式的な優良運転者である。
講習は最短時間のコースを受講することになるのはありがたいんだけど、それくらいか。
あまりにも、導線をキビキビと動いていくだけの機械的作業に、むしろ気疲れをするのである。
係員も毎日毎日、続けるのか。
免許を更新する人は、とくにだけど、なんだか、イライラしているヒトが多いように見受けられる。
なんでやろう。
私もその例に漏れないのだけれど笑
待たせるわりには、小刻みに行動を起こす必要があったりと、落ち着かないのが一番のところだろうか。
免許証の写真は、パパラッチのように撮影され、オワル。
撮り直しもなし、撮影者の主観で決する。
ただの書類だ、ただの身分証だ、後ろには何百人も控えていることが、とり直しを求める意思をゴリゴリとすりつぶしていくのである。
今回の写真も、大層不愛想に撮れたものや。
寝不足、目疲れ、イライラ。
なんという条件なのだろうか。
まぁ、いい。
次回の更新は、5年後ということで、もう、よくなっている。
それにしても、5年後か。
東京オリンピックも終わって、私は一人前になっているはずだが
どこで何をしているかが全く見当がつかない。
こんなことは、いまだ人生においてないな。
エスカレーターである程度、身の振り方を予測しつつ来た。
だから余計にか。
今も、この大学院受験を経た昨年とはまるで違う生活。
新しい友達(ここが一番大事なんやろうな)。
さて、表題部に戻るのだが
運転することは、全身に武装を施すことと何ら変わりはないと思われる。
端的に想いを書くならば、こうか。
一般的危険を高める行為をして、効率性や時間的短縮、人によっては、優越感を求めることになるのであるが
ルールをひたすら遵守している誠実なニンゲンをこの世から消し去ることができることとの関係で、果たしてそれらの利益を土俵にあげることが適切であるか、今一度問いたいところである。
車両に轢かれ、頭部を完全に押しつぶされたとか、左半身が血まみれだとか
その悲しみを訴え続けたとしても、その悲惨な事件がなくならない。
ある日、隣にいた人がいなくなるのである。
私も、想像までで俄かに実感できているとは言えないのだが。
これにより、ますます私の運転意欲は削がれるのである。
明日は我が身なのである。