私は、なんらの宗教に属しているわけではない。

しかし、自らが活動する場合に、

活動というのは、肉体活動、精神活動問わずというところなんだが

使うエネルギーは3種類だと思われる。

一つが、肉体。もう一つが、精神。そして、自然。

 

3つ目を書くと、えてして、アタマのおかしい人だと思われてしまう。

しかし、そんなことは決してないと思われる。

このブログで、以前から、登場するが

季節の移り変わりを敏感に感じたり、思わず、木々と太陽の織り成す景色に歩をとめたり

自然の景色に、独自の色を読み込んだりと、そんなことができる人種をいうのである。

その中でも、2つ分かれると思う。

一つが、自然の外側から、意味を読み込むタイプ。

そして、その美しい自然に自らを溶かし込むことができるタイプ。

後者は、なかなかいない。

私は、どうにも落ち着きがないというか、人間らしいところがあるようで、自然には拒まれているものと推察される。つまり、前者しかできない。

これは、私の勝手な評価なので恐縮なのだが、

どうやらキミは、どちらもできるようだ。

後者のタイプを自分の中に備えているかは、他人に判断してもらうしかないのだが

私は、こっそりと見当をつけていて、それなりの期間観察しておった。

後者は、溶け込み、同化する。

瞬きをせず、ずっと見ていないと、きっと見失ってしまうのだと思う。

だから、キミが美しい景色の近くにいるときは、とにかく、ドライアイ覚悟で、この両目を、すくなくとも、片目だけは、開き続けるのである。

これに気づいてからは、私の中では、どうも、その自然に愛されたニンゲンとして、美しさが際立ってしまっている。

最近、キミを観察する原因は、これも一つなのであろう。

これも、先に書いたところであるが、対極の、相反する概念を持ち合わせているものほど、力強く美しいものはない。

根源的な力強さと美しさに気づいたからこそ、魅力的に感じるのであろう。

 

さて、この自然を感じられるニンゲンが、私の知るところでもう一人。

Yである。

おもむろに、私に話してくれた内容がそれを物語っている。

冬のこの空気を感じていたい。

少なくとも、前者のタイプについて持ち合わせているようだ。

しかし、私は自己を開示していないから、一般的なリアクションにとどめてしまったが

無限にあるはずの自然のエネルギーは

感じられる者同士で取り合うと、一度に雲散霧消してしまうのだろう。

自然は、人間の醜い争いを好まない。

だから、競合しないように気を付けなければ。

Yがその話題と共に、私の周りの自然を吸い取っていったから

私は、どうにも、少ないエネルギーで応対せざるをえなくなった。

自然のエネルギーがつかえるニンゲンには、自然のエネルギーがなければ。

まるで、極寒の雪山に、丸裸で取り残されたような無力感と心細さに覆われるのである。

 

是非、キミもYの特殊性を感じたまえ。