昨日の話の続きも兼ねて。
Mが思想とは覚悟だと、述べていた話は以前にした。
それを近い将来に体現できるように日々、私は生きている。
しかし、思想が未だ固まらない私にとっては、一向にこの境地に追いつかないと考えてしまって、腐りかけそうだった。
他にも熱意をもってやらなければならないことは、仰山あるのだけれど
でも、これは人生のゴールであるから、何よりも真剣に取り組まなければならないのである。
人生のゴールとは、死ではなく、生きた結果を眺めることである。
そうでなければ、終焉をただひたすら待つ受動的な生物に落ち着いてしまう。
せっかく例外的に不随意筋によって、思い通りにならない箇所もあるのかもしれないが
自らの意思で動かせるものがたくさんあるのだが
とにかく、とにかく、自分で動け。
今、何をしている?
今、意味のあることをしているか。
効率的な生を推し進めるべく、アタマを回転させているか。
しかし、先に述べたとおり、思想が確立しない。
だから、逆さから考えてみることにした。
現在、覚悟をもってやっていることとは?
人生のゴールに設定した目標、すなわち、思想の完成から考えると
夢半ばといわれるかもしれない、Pになること。
それから、走ること。
冒頭と繋がるところ。
キミは、私の存在(の色)が真っ黒だと表現したが
現実に、私が走る前の精神統一をするにおいては
目をつむり、自分の内側を黒く染める。
ただ一つのことに全神経を注ぐということは、寸毫も雑念が入る余地をなくすことである。
ただ一つの物体になること。
それが、やりきるということである。
そして、それが、覚悟であり、思想なのではないだろうか。
一切の綻びのない存在になり、直線的に最大スピードで進むことである。
何者にも、何物にも染まらないという意味で、覚悟を決めたとき、思想の完成時は、
きっと、真っ黒に、進んで、漆黒の思念体となる。
そのときは、肉体と精神の主従の関係は逆転しているであろう。
肉体は朽ちても、思想は残る。
思想が、肉体を動かす。
自己の思想に、傀儡のように細部まで支配される状態をいう。
漆黒とは、烏である。
烏は怖いけど
でも、心の底で、美しいと感じたことはある。
かの有名な、一休宗純が悟りを開いたきっかけは
烏の鳴き声だったそう。