ワタクシは大変目が良いからなのか、おそらく接近戦は苦手のよう。
内在闘争と視覚の関係性について直ちに疑問を投げかけるのかもしれないけど
それは結局現実的物理的なレベルでの議論なのである。
今進めているのは、多分に精神的なレベルも含んでいる議論なのである。
だから、二次元が三次元に、平面が立体に、机上の空論にとどまらず日常生活における振る舞いまで視野にいれたものになっている。
接近戦をすると、熱を帯びた自分のキモチの温度の限度を超えた上昇に気づかず、対処できる範囲を超えてしまうおそれがある。
誰かに気づいてもらいたかったり、より実効性のある一手を採りたいなら、接近戦。
しかし、自分のペースや、その他の微妙なバランスを見失うのである。
見失って、それまで大事にしてきたものも一緒に失うことが
これまでの人生の通例のように感じている。
かといって、中距離遠距離からの狙い撃ちも、ゴリゴリ進めたいと思っているもう1人のワタクシからは評判が悪い。
何が幸せなのか、今一度考えるべき。
120点を短期間とるのが幸せか、80点の関係を長期間続けていくのか。
環境は?
自分の周りの環境に固定はない。
固定化した環境など、およそないのだ。
これに気づかず、現在のキモチだけで踏み切るからこそ、失敗する。
明日はどうなる?
1ヶ月後は?
半年後は?
それから先は?
しかし、先の見通せないことばかり考えていても、それでこそ、何も決まらない。
結局は、やりきる覚悟なのだろうか。
自分のやりきるときのエネルギーの注ぎ方には自信があるとして
しかし、それをやらないということは
覚悟を決めるところではないと裏から言われてるからなのだろうか。
しかし、膠着状態だからこそ、現に微動だにしない関係性を目の前にしてるからの議論なのか?
そうだとすると、今ワタクシが何か変化を起こせば、事態は変わってくるのであろう。
しかし、また戻るが
変化を起こす覚悟を決められてないのである。
ということは、まだ自分にとって、とるに足らない範疇だということなのであろうか。
この一瞬一瞬が流動的だとして、それは事実で、その普遍さを軸にして生きていくと、分からなくなる。
占いが仮に正しいとして、人生の振る舞い方に答えが出ているのに、その通りにいかない理由は
誘惑等、根拠なき一歩を踏み出したからではないか?
変わる。
しかし、ヒトは不利益を被ったとしても、それを自認して生きていくことができる。
諦めか、趣向が変わったのか、カミサマや占い師ではなく自分で選択したことに誇りを持っているのか。


ワタクシにとっての幸せとは、つまりなんだ。