私は、つい2週間ほど前までは、瘡蓋だらけのキャンパスを歩いていた。
先を急いでいたとしても、自然の流れに逆らって剥いてしまわないように。
今や、その瘡蓋も残り少ない。
フユが近づくと、元の状態に戻るというのであるから、生命が絶えるフユではなく、この点をとらえて、むしろ生命に満ち溢れるというべきなのではないか?
春や秋ではないし、麗らかなんていうコトバを使うことが憚られるが
とても気持ちの良い柔らかく暖かい日差しが、落葉した後のスカスカの木の枝の隙間から、零れ落ちてくる。
本来の場面より、量が多いんじゃないかと、勝手に思ってる。
透き通った空気に金色を帯びた日差しが落ちてくるのであるから
一面豪華絢爛さを秘めている。
ここで、時間の流れが変わることを言わなくてはならない。
平等に時は訪れ、その速度もまた平等である。
しかし、視覚と脳内で明らかに時がゆっくり進むときがある。
ノイズキャンセリング仕様のイヤフォンを耳にしたように
まわりの音が聞こえなくなって
注視してるものの鼓動だけがやたら大きく感じられる瞬間。
美しいものをみたとだけでは説明がつかない対象物をみたときにだけ起こる。
目だけじゃなくて、ココロも反応してるんだろう。
自分の中でココロから感応するものは限られている。
次こそは、ここを詳らかに書かないと。
そろそろココロに溜めておくのも限界かな。