さて、この先どうなるのであろうか。
目の前の課題に追われつつ
中間的目標に少なからず怯えつつ
先を見据えて行動を起こさねばならない。
この着地地点の不正確さに比例して、身の振り方も少しずつ曖昧になる。
そこに性別の特質も入り、ヒトとしての欲求、夢を追いかける者としてのマナーを加えつつ、考察していかなければならない。
これほど難儀の話題などないだろう。
仮定の上に仮定を積み重ねる。
結果を出さなければならない時には、この過程は避けなければならないはず。
しかし、現実的な話をすれば、その過程から逃れることはできないであろう。
予定は未定でいいから、現時点での身の振り方を決める。
批判はあってよい。
数分間も維持できるかわからなくても、まずは批判対象を決めなければならない。
ここが考察の出発点ではなかろうか。
すぐにスタンスを変えてよい。
ただ、まずは、決めないと。
何かを変えれば引っ込むような案件を抱え続けても、前進した気分にならない。
一方で確定しつつ、他方で流動的な鬩ぎ合いを感じなければからない。
これが、私の大事にする追う追われる関係なのである。
これは慶應義塾の教えに由来する半学半教を発展させてみたのであるが。
これが、ワタクシなりの対外的膨張主義の一概念なのである。
今日は、将来の刑事司法の着地点について、意見を聞くことができた。
ワタクシは、このために生きねばならないと思われる。
詳細は後日。