人それぞれ、「生きている」と感じる瞬間って違うと思う。

今から話すことは、そんな軽い話じゃない。

自分が何をやって、生きてると感じるのか。

呼吸の音を感じるとき、心臓の鼓動を感じるとき、焦点があっているとき

気づく瞬間はどこでもいい。

ただ、芯から、体の奥底から、生きていると感じれる瞬間をどこに定めているか、それがみんなは、どんなときなのか。

自分の中の様々な欲求を抑制するためには、生きるためにその欲求の対象にすがらないことが必要だと思われる。

欲に生かされているようなら、たちまち、ヒトの命は形骸化してしまうと思うんだ。

ここに、ヒトとしての強さが表れると思うから。

ヒトとつながってないと生きていけないのは、芯からくる生を見出していないからだと思う。

その瞬間っていうのは、日々の生活の中で、最も自分と向き合っている瞬間のはず。

そこに、自分の起源がある。

起源がある。ルーツがある。

そこは、自分しか知らない秘密基地。

だから、自分がそこにいるから、どんなことがあっても、負けない。

 

有り余る生よりも、芯からくる生。

生のきっかけをあらゆるところに植え付けることよりも

自分の成長と回顧のきっかけの種を大事に育てていたい。

 

結局、私が生を感じるのは

身を切るような寒さの中にあって、身体の芯から皮膚の内側だけを燃やすことに成功した瞬間なのである。

成功の狼煙は、吐く息で代替。

 

 

黒い夜にあって、吐く息で、この黒い夜を薄い灰色に染め上げた瞬間なのである。

(だから、あのマフラーの色合いは大変気に入っているのである。私にとっては、生のかけらなのである。)