あまり過去は振り替えられないスタンスなのだが、とあるブログを読んだことで、忘れていた自分の人生の法則を思い出した。
體育會の同輩というものは、寝食を共にしたり、違うスポーツでも最高峰を目指すというところでシンパシーや一体感を得て、友情が自然と出来上がる。
しかし、今から話したいのは、それ以前の話。
私が小学生のころの話である。
このころは、體育會というものの存在も強烈に意識しているわけではないだろうから
それなりの一般人感覚で生きていた。
そんな中で、とっても仲が良くなった男の子が二人いた。
気が合った。
いつも一緒に遊んでいた。
小学生ながら、「親友」というものを初めて観念した瞬間だったと思われる。
自分は、その小学校がある地域の幼稚園や保育園の出身ではなかったから、当然に小学校に入学したころには、友達がいなかった。
同じ幼稚園の子も、数人一緒に入学したが、クラスは違ったから、やはり独りぼっちだったのである。
そんな中で、初めて心のよりどころとなったのである。
運動がとってもできる子たちだった。
勉強は、私のほうができたけど笑
さて、その子たちがどうなったかといえば
1人は新潟県へ転校、もう1人は、卒業と同時に北海道の学校へ進学した。
小学生というのは、別れはつらいんだろうけど
そんなに後を引かないのだろうか。
たしかに、転校するってなったときは、とっても悲しかったのは覚えてる。
北海道に行く子が、暫くあえなくなると言っていたのも覚えてる。
だけど、それだけだった。
小学生は悲しみにくれることなどないのだろうか。
それとも、小学生のくせに、一人前に、早く忘れるようにして悲しみから自己防衛を図っていたのか。
私の中の特異な法則の一つとして、存在する。
地方出身者と仲良くなりやすいところ
そして、抜きんでて仲良くなると、必ず別れがくるところ。
これは、人生の法則である。
たしかに、子供ながらに、親友は作らないようにしようとしてた時期はある。
中学以降は、一貫校で、別れなどない環境にいたから、何も起きなかったけど。
そして、この大学院に入学してから、私は、その法則に基づいて
地方出身者のキミと仲良くなっている。
そのあとは、どうなるだろうか。
この法則を解消する考え方の一つは
地方出身者であるから、地方に戻り、別れが訪れるのは自然の摂理であること
今一つは
オトナになり、金力や勇気をそれなりに身に着けたのであるから
会いに行くことだってできること。
そのように考えると、たいした現象ではないのである。
コドモながらに、ショックなできごとで、自分のココロに強烈なインパクトを残したから
法則化、運命化が過度に進行してしまったようなのである。
というなんとも、自己完結型のブログ。
余談。
しかし、過去を俯瞰することも大事だ。
過去を振り返るきっかけも、やはりそのあたりに転がっているのであろうか。
タイムマシンがあっても、
結局、膨大な過去の中から、戻ってみたい時間を取捨選択しなければならない。
これは、何かのきっかけで、選択することになるのである。
そして、タイムマシンがなくとも、簡単に思い通りに過去へ戻ることができる。
そうすると、この振り返りに要する時間は、光速を遥かに超えているのではないか。
タイムマシンは、各自が有していると言ってもよいのではないか。
そうだとしたら、ドラえもんの登場は、もう少し待ってもらってもよいかもしれない。