お静かに。
歯磨きをしているときに、身体の内側に耳を傾けると、関係各所が呟いているのが分かる。
今日は貴重なトレーニング日だったが、下半身中心の気怠さ、肺の苦しさが感じられない。
脈拍も高いし、主観的には追い込んでいるつもりだったが、実際のところはそうではないみたい。
筋肉痛が無いとか、筋肉が疲労感で熱を帯びていないとか、それが何より物語っている。
もちろん、まったく疲労感が無いというわけではない。
そろそろ運動強度を高める時期かもしれん。
質と量の関係については、自論がある。
それは、抽象的な議論が故、様々な分野で応用ができるのである。
最初は、質を追いかける。
集中すれば、質は必ず量の出来高を上回り、結果を出すことができるのである。
しかし、ある一定の境界を超えると、いくら質を高めても量には勝てない領域に達する。
これは、仕方がないことである。
この話には、万物に限界があるという考えも内在していると思われる。
トレーニングの勉強、法律学の勉強、トレーニングそのものというように、様々な分野で考えを使ってみた。
そこまで間違った議論ではないと思っている。
学問に王道は無いという言い回しが、このことを見事に仰々しく表現したものだとすると、私は古代ギリシア人くらいにはなれそうである。
なにが言いたいかと言えば、ひたすら質を大事にする私のトレーニングのトレンドだが、若干、量について調整する時期が近づいているということを丁寧に言いたかっただけである。
その思いつきは、トレーニング理論と自論に裏打ちされており、主観と客観によって支えられている点で、大変、筋の通った意見だったと自画自賛するばかりなのである。
御免。