あと、あとね、最近思うこと。世の中がそういうものを求めているのかもしれないけど、映画とか音楽のMVで自分が日常生活でよく見かける場所や建物が映し出されることが多い。それが、やたらココロに残って離れない。目をつぶれば、いつでも思い浮かべることができる。自分のココロが疲弊しているのかわからないけど、「そんなに綺麗なものじゃねーよ」なんて反発してる。反発してるというのは、うらやましく思っているのかな。東京駅も新宿駅も、東京タワーも、某ビール会社のオブジェも、電車がホームを出ていくサマも。視界というか目に見える景色って、ココロでいつも調整できる。人体の眼の仕組みがいかに緻密で精巧であったとしても、ガラリと変えることができるんだ。イエス様やマリア様は、こういうところを知っているのかな。ネオンがやたらと眩しいとしたら、そんなヒカリに対する抵抗力さえ失っているってことじゃないのかな。五官の作用のうち、正常に働いているのはなんだろう。あの山手線の人を脅かしてくるクラクションに耳がうんざりしてる、心臓が痛くて、じゃっかんストレスかなぁ。山手線の車内の終末を感じさせる匂い。成分は、おそらく多数人の汗臭さ。いろんなひとが利用しているはずなのに、いつも嗅ぐ匂いは同じ。既に、嗅覚が壊れているという言い方をしていいのかもしれない。味覚。味覚は、なんだろ。きっと正常だ。触覚もだ。今の自分にとって、食事と人に触れる瞬間が、欠くことのできない要素だと分析してみた。あとは、冬に近づいてきて、外界が寒いから、寒がりな自分は内面に対する感知の度合を高めているということも言える。きっと、そうだ。涼しくなってきたから、一日で、やたらと考えることが多い。ジェッ。