地元ではお祭りをやってるみたい。
昼間っから、太鼓の音が家の中まで聞こえてたから、分かった。
この地元は、あまり思い入れがない。
豊洲から高校生の時に引っ越してから、部活と学校を行き来するだけの生活がずっと続いたから、催し物に参加したことがない。
自分の地元では買い物は親に任せているから、近くのお店に行くこともない。
強いていうなら、美容院に行くくらい。
だから、お祭りもスルーである。
ランニングをしてる中でその賑やかな人の道を通り過ぎるだけ。
マスクをしていて、顔も知らない人間にお祭りを運営するような地元色が濃い人間は話し掛けようともしないだろう。
だから、いつも、この街に自分は本当に住んでいるのかって素朴に思うことがよくある。
この街には友達もいない。
ランニングした後のクールダウン中にいつも自分の飼い猫を探しにくるお婆さんとは仲が良いけども、それだけ。
繋がりが無いのは、どうでもいいけど、なんだか物足りない。
今更必死で何か繋ごうだなんて微塵も思わないけど、自分にとってこの街は何の感情もなくて、無機質で、淡白なものである。

それと同じようなことかもしれないのだけれど、
間違いなく自分の人生を占めていた慶應義塾體育會というのに触れることが少なくなった。
そこは自分のルーツだし、自分が最も心地よい場所だと感じていたところだから。
體育會の中で、きちんとやりきって法曹界を目指す人間はゼロではないけど、ゼロに近い。
だから、友達はいないし、感覚や考え方も温度差がある人ばかり(個性という点を考慮したとしても)。
まるで、1人でどこか知らない世界に来た気分であるのが実際のところであって、SNS上にアップロードされた仲間の写真を見て、懐かしくも寂しくも思うのである。
外国に来たような気分に浸り続けているのである。
完全アウェーというのはこのことかって、つくづく考えるようになっている。
しかし、もう少し我慢すれば、またみんなに会えるだろうか。
今も会えるけど、やはり環境が違い過ぎると思ってしまう。
だから、連絡をとることに躊躇してしまう自分もいる。
結局、どちらの世界にもうまく戻れず、間の窮屈な場所で1人もがいているのである。
右も左も行けないから、前に行くしかない。
就活をしない時点で退路は立っているから、もちろん、後ろにも行けない。

一瞬、没落華族が華族側の生活に戻れず、かといって、庶民側の生活にも馴染めずにいるが、なんとか庶民側の生活に馴染もうと時に身体や心をボロボロにしながら、もがくあの話が思い起こされる。
ここに気を注ぎ込むのは、無駄だと思ってるから
できれば、自分は違う選択をしたいと考えているのだが。

いずれにせよ、これこそが、自分の胸の落ち着かない部分だったのかもしれません。


o1-o7