あのさ、またくだらないことを考えたんだけど

豪雨で身体全身がずぶ濡れになるのと

ギラギラと照り付ける日差しのせいで、汗だくだくになるの

結局、どちらも、同じように身体が濡れるね。

対極にあるようなものが、同じような結論に至ると、なんだかワクワクしない?

別に、そんなことを考えるのが俺だけであっても構わない。

今日は、一日の中で、カンカン照りと豪雨に遭遇してそう思ったのだ。

 

そして、「ホンマでっか!?」の収録を見学してきた。

明石家さんま、カトパン、マツコ・デラックス、ブラック・マヨネーズ、土屋太鳳・・・といったメンツを生でみてきた。

女性陣のかわいさというか綺麗さは異常だった。

自分のエクスターン先の事務所の弁護士が出演してる番組だから、その関係で。

カトパンとは直接話せたし笑

 

収録中の土屋太鳳の悩み相談のなかでの、各評論家の話はとても参考になった。

管理と統御の話、モノではなくて情報をもつこと、自己の哲学に従って行動すること、それを変化させること、少しのふまじめ・・・。

 

なんだか、いまは、とっても不真面目さが足りないんだと思う。

まじめにやることだけで、生きてる。

それで、失敗して、何も達成できず、自分を緩める時間もなく

ココロの中で角張ったものがぶつかり合って、表面には見えてこない怪我をしている。

その怪我が中々治らなくて。

かさぶたができては、むしりとって・・・みたいな感じ。

そういうところがよくないんだと思う。

自分の人格が2つあるとして、それぞれの人格に則って生活することが大事だと考えてる。

それは、それよりも高次のルールとして、相手の予測可能性を害さないようにという生き方がある。

しかし、せっかく、2つあるんだから、それぞれの良いところをとって、生活してもいいのではないだろうか。

なんか、これまで、変な遠慮があった。

自分は、誰のために生きてるの?ってレベルじゃないか。

自分の人生を最高にする生き方ができてないと思った。

自分の人生を最高にする生き方って、自分を一番輝かせる方法だと思うんだけれど

そうじゃないのに、全力って出せなくないか?

これでは、まるで、勝手に自分に制限をかけて生きているのと変わらない。

やっぱり、窮屈なんだよ、今の生き方。

改めて、自分らしさというものを追究して、いつでもそれを出せないようにしないといけない。

自分が最高のパフォーマンスを出せる自分でいなければ

結果は期待できない。

 

失敗しないように、まじめに生きていくというのは優等生なのかもしれないが

大変つまらなくないか。

 

久々に、旧友Rから応援メッセージを頂いたおかげもあるかもしれない。

水泳やってたときの俺しか知らない人。

その子のことを考えるときに、自然と面白い生き方をしていた水泳の自分を不意に想い出せたからかもしれない。

以前、書いたように、マグルによる分霊箱作りが功を奏した結果かもしれない。

願わくば、この今日の変化の兆しを日常生活に思い及ぼしたい。

 

 

なんだか、急にココロが軽くなってきた。笑

 

 

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