そういう機会に見舞われたら、

 「これは特技なんだ」と自分で肯定しないと、

 つらくなるので、そういうこととする。

 

  自分でこうして表明するのは恥ずかしくなる類いのことだけど、

 私は、ときどき、知らず知らずのうちに、

 他人の考え方を変えている、

 と感じる場面に出くわすことがある。

 

  でも、たぶん、実は多くの人が持っている特技だと思う。

 

  大体、私がその人の考え方を変えているという証拠はない。

 証拠はだれも示すことはできないと思う。

 なので、妄想の類いだろうと、一方では思っている。

 私ごときが他の人の考え方を変えているとか思うなんて

 おこがましい、

 何気取り?みたいな。

 

  でも、

 言葉とは恐ろしいもので、

 私が発言してから、

 数日、数か月、記憶があるもので1年くらい経つと、

 その人の意見が、

 当時と真逆になっている、ということが、

 時々ある。

 そして、私は、

 「それ、以前私が言ってたこと。」

 と、ちょっとイヤな気持ちになる。

 だって、あの時は私の考えを否定したのに。

  もちろん、そんなことは言わない。

 

  でも、これも、

 私の言葉によって考え方が変わったという証拠はない。

 それまでの時間の中で、

 何か価値観が変わるできごとがあったのかもしれない。

 そう考えるときもある。

 

  そう考えないと、

 まるで私のせい、ということになる。

 

  ただ、時々、本当に時々、

 そういう方へ持って行こうと意識して

 発言することがあった。

  そして実際にそうなったとき、

 私は、

 「もっと自分の考えを持てよ。」

 と、心の中で毒づく。

 

  条件は、たぶんたくさんある。

 わかりやすいのは、

 自分の意見が明るくてプラス思考のものであること。

 例えば、対象のいいところを、ちゃんと自分の言葉で言うこと。

 そのとき、訴えるようには言わない。

 とか。

 

  変えられるものなら

 変えたいことは、いくつかある。

  人は活かして(生かして)なんぼ、とか。

  平和な方が楽しいこともできる、とか。

  (例えば、推し活。)

  ミサイルは、発射ボタンを押すのも人間、

 その先にいるのも人間だし、とか。

 

  私に返って来るものは、私が与えたもの。

 いいも悪いも、何でも。