私は議論に慣れていない。

 たぶん、議論というものが実は何なのか、

 認識を誤っているとすら思う。

 

  落としどころや結論を、早く見つけたい、決めてしまいたい、

 と思ってしまう。

 あるいは、相手を負かしたい、

 こちらの言い分を聴かせたいとか。

 でも、きっと、たぶん、議論とはそういうものではない。

 揉んだりこねたり、できるだけいろいろな角度から考えて、

 伝えて、聞いて、徐々に徐々に、編み上げるようなことを

 言うのかな、と思う。

 しめ縄みたいに。

 

  それを私は今まで練習してこなかった、

 経験してこなかった、

 学習してこなかったのだと感じる。

 頭も身体も慣れていない。

  議論と聞くと、ケンカ腰と後腐れ感を思い出させる。

 

  もしかして、議論とは、

 知力と精神力と体力の総合根競べ大会、なのではないか。

 正論よりも、批判合戦よりも、

 どれだけ多くの知恵や案を出せるか、

 それらの中から最善の組み合わせを組み上げられるか、

 最善の形を作れるかどうかの世界。

 

  それが出来ないと、ただの力比べ大会になる。

  ただ声が大きいとか、顔が大きいとか、腕力があるとか。

 

  例えば、知恵がついてきた子どもが

 大人に力でねじ伏せられそうになっているとき、

 どうしたらいいんだろう。

 普通の市民が通り魔に出くわしたときとか。

 偉い人に理不尽な命令をされたら、とか。

 

 力比べなら、

 弱い方がやられる。

 根競べなら、

 ・・・

 焦っちゃいけない。

 でも、間に合わないことがある。

 でも、動くか動かないかの違いは出る。

 時間は繋がっているんだもの。