もし、気を遣う人間がまわりにいなかったら、

本当はどうしたいんだろう。

 

 ずーっと、いつも、大人や組織が傍にいて、

期待を掛け続け、そういう世界の中だけで生きて来たのではと、邪推をしてしまう。

「これが常識」の世界で。

 

 実は世界は広い、ということを見せてあげられたら。

 

 五輪は、トップアスリートだけが競い合える場で、

トップの審判員が審判をする、これ以上ないほど公平に競い合えるスポーツ競技の最高峰の舞台。

 

 というのが、私にとっての理想の五輪の姿。

でも、同時に、これは選手ではない私の一方的な理想で、

選手同士には、なんとなく、もっと、ただスポーツを、試合、競技を楽しんでほしいとも思ってしまう。

 

自分が子どものころ、少し上達すると、うまい人と競うのが楽しかったのを思い出す。

異次元レベルの差はあるけれど、ああいう楽しみを味わっているのかなと想像したりする。

 

「ドーピング検査、陽性。」と出たら、

スポーツマンシップにのっとり、「失格!」と、さっぱりとした感じで判定したらいいのに。

そして、まわりの人が、選手のことを「こらー!」と怒る。

 

シンプルなルールはないのかな。

執拗に批判しないで済むように。

 

お金なのかな・・・。