⭐️私の創作活動及び宴仕様の我が家、二部屋の葬儀関連に不必要な物を全て奥の四畳半の部屋に山の様に押し込み、急いで掃除をして母を家に入れて寝かせた。
それ以降葬儀から四十九日法要、その後も全て実家では無くこの家で行う事となった。
ここから話しはだいぶ遡る事になるが、母はこの家を借りた頃は、
「母ちゃんは動物達と気楽にやっからのぶもみんなと仲良くやれ」
と、半一人暮らしを楽しむ様な事を言っていた。
しかし私は心配な事があったため、この家にずっと寝泊まりでは無く両方の家に不定期に寝泊まりをしていた。
理由は母が仕事終わりに飲みに行き、イヤな事があると泣きながら家に帰って来てそのまま持病の発作を起こす事が度々あったからだ。
私は飛び起きて母にかけより、声をかけながら背中をさすったり叩いたりしたものだ。
母は自分より人を心配する人で、それにより周りからはお人好しだと言われたりし、仕事帰りの馴染みの店では口の悪い近所に住む昔からの同級生の男友達からいろいろと説教じみた事を言われたりしていた。
そして家に帰り悔し涙を流して発作という負のルーティンになっていた。
最初は気楽に生きると言っていた母は次第に弱気になってきて、
「みんなで母ちゃんの事馬鹿にして、なんにもいい事ねえ、もう母ちゃんはいづ死んでもいいんだ」
と、いつしかそんな事を口走る様になっていた。
📷使用画像
👶50年前に母子三人で住んでいた家

