こんにちは。 

看護師。フットアドバイザー

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スピリチャル、不思議大好き

ドライブ、旅行大好きな

ふっこです。

 

ぼたん苑を出ると

東照宮参道の途中に出る

 

銅灯篭

唐門の前にはたくさん

銅灯篭が置かれている

 

明かりをともす目的ではなく

神事、法会を執行する浄火を目的とするものらしい

(浄火とは、神様に捧げる神聖な火のこと)

 

全部で48基。
国指定重要文化財。
当時の諸大名から奉納されたもの
それぞれに大名の名が刻まれていた。

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灯篭の下

いろいろな彫りがあるなぁ

どこにも書いてなかったけど

これって最初からここにあったのかしら?

とっても重そうだけど

どこで作り上げたのかしら?

 

日光東照宮に参拝できない人たちのためにここに造ったらしい。

家康を神として祀ったので東照宮だけど

日光と区別するために上野東照宮と呼ぶんだって。

石灯篭200基以上の

ほとんどが社殿の建築の年

1651年(慶安4年)奉納された。

 

東照宮創建より前から合った大楠

樹齢600年

柵がなければ近くに行きたかったショボーン

 

 

ここで写真撮ってというように台があったので撮影した口笛

 

透き壁

1651年造営

向こう側が透けて見えるのでこの呼び名

上段には野山の生き物と植物

下段には海川の生き物が生き生きと表現されている

平成21~25年の保存修理工事で江戸造営当時の姿をよみがえらせた

 

唐門

正式には唐破砕風造り四脚門

柱内外の四額面には左甚五郎(ひだりじんごろう)作の

昇り龍・降り龍の彫刻があり、 

毎夜不忍池の水を飲みに行くという伝説があります。
偉大な人ほど頭を垂れるということから、

頭が下を向いている方が昇り龍と呼ばれています。

 

降り龍

登り龍

 

 

上部の錦鶏鳥・銀鶏鳥の透彫は精巧で美しく、

室町桃山時代の技術を集大成したものとして高く評価されています。 

 

 

内側の透彫は諫鼓鳥(かんこどり)という中国の故事に由来し、

皇帝が朝廷の門前に太鼓を置き、 

政治に誤りがある時は人民にそれを打たせ訴えを聞こうとしたが、

善政のため打たれることは無く、 

太鼓に鶏が住みつくほどであったと言う話に基づいています。 

天下泰平の願いを込めて彫られたと考えられています。

 

 


 

 

 

きささげの木(ノウゼンカズラ科)

樹齢350年

慶安4年(1651年)の社殿造営時

雪除けの願いを込められて植えられたと伝えられている。

 

五重塔

寛永8年(1631年)、土井利勝によって、

寛永寺の境内である上野東照宮内に建立。

当時は神仏習合の考えにもとづき、

神社である東照宮も、

寛永寺の境内に作られた。
寛永16年(1639年)に花見客の失火で焼失。

現存の物は同年、再建されたもの。

その後、明治の神仏分離政策の結果、

五重塔は寛永寺に帰属することになり後

昭和33年(1958年)に寛永寺から東京都に寄付され、

現在、上野公園の監理下となり

動物園敷地内に入園しないと全体像は見られない。

 

東照宮参道より

 

 

 

大灯篭(お化け灯篭)

灯篭に以下が掘られている

奉寄進佐久間大膳亮平朝臣勝之
 東照大権現御宝前石燈籠
 寛永八年辛未孟冬十七日

佐久間大膳亮勝之が東照宮に寄進した石造の燈籠である

寛永8年(1631年)

東照宮、創建して間もなく、

社頭には、現存の大鳥居・銅燈籠・石燈龍などは、

まだわずかしか奉納されていなかった。

勝之は他にさきがけて、この燈籠を寄進したのである。
勝之は、織田信長の武将佐久間盛次の四男。

母は猛将柴田勝家の姉という。

信長・北条氏政・豊臣秀吉、のち徳川家康に仕え、

信濃国川中島ほかで一万八千石を領した。
 燈龍の大きさは、高さ6.06メートル、

笠石の周囲3.63メートルと

巨大で、その大きさゆえに「お化け燈籠」と呼ぶ。

京都南禅寺・名古屋熱田神宮の大燈籠とともに、日本三大燈龍に数えられる。

 

食事編に続く