2日目は、清水寺から始まりました。
ここは、今回のテーマには沿ってませんが、
中学生以来なのでよりました。
お土産屋さんがある通りを終えてみえた
赤い山門あれこんなだったっけ?
が旦那との第一声でした。
そして、奥へ進んで本堂である清水の舞台
下を見下ろしてあ~あの感じは
知ってると記憶を呼び覚ますのでした。
境内をぐるっと回って、
本日の予定幕末へ戻ることに、
幕末維新ミュージアムへ向かいます。
このミュージアムの向かいに霊山護国神社があり、
坂本竜馬のお墓があります。
ミュージアムの中は、会津藩のことばかりで、
ここは会津なんではないかと錯覚してしまいそうでした。
会津は、日新館も会津武家屋敷も
白虎隊記念館飯盛山白虎隊の自害したところも
鶴ヶ城も行っているので観ていてとても面白かったです。
ミュージアムでは、
いまNHK大河ドラマ「八重の桜」の
主人公八重のことも多く取り上げていて
これからのドラマも見逃せないとますます興味を持ちました。
次にお向かいにある、
霊山護国神社で坂本竜馬のお墓に向かいました。
ここのHPによれば以下のように書かれている。
「謹みて当社は明治元年の創立に係り、嘉永六年米艦渡航以来の国論沸騰のさなかに在って、敢然衆に率先、尊皇の大義を唱えて世論を啓発し、機運到って征幕の軍興るやこれに従って諸方に転戦、身を持って維新の鴻業を翼賛しながら、その成就を見ずして中道にたおれ、一命を国に捧げたる志士の精忠を、宏謨成れるの日、畏くも明治天皇は深く御嘉賞遊ばされ、その霊を祀らんがために一社の創立を仰出されたのに始まるのである」
要するにお国のために戦った人たちを弔うところってことのようです。
三十三間堂にも行ってみたいと私の希望も入れてもらいました。
中には、たくさんの千手観音が祀られています。

建長元年(1249)火災で御堂が焼失し
その時かなりの仏像も焼失してしまったそうです。
文永3年(1266)には、再建されたそうです。
並ぶ仏像の中に、
自分と似たお顔があるかもしれないという話を
聞いたことがあるので、探してみましたがとてもわかりませんでした。
最期に、西本願寺

慶応元年(1865年)に壬生の八木家では
手狭になり第2の屯所に移転することになります。
その第2の屯所が、西本願寺だったのです。
新撰組が屯所として使用したのは、
西本願寺の北東にあった北集会所と太鼓楼でした。
今も西本願寺に残っている新撰組の使用した建物は、
太鼓楼だけとなっています。
大銀杏は、当時からずっとそこにあり、生きてきたそうです
ここで今回の京都旅行の日程を終了し、
新幹線で地元に帰る時間となりました。
テーマでまわるって意外と面白かったです。
ここは、今回のテーマには沿ってませんが、
中学生以来なのでよりました。
お土産屋さんがある通りを終えてみえた
赤い山門あれこんなだったっけ?
が旦那との第一声でした。
そして、奥へ進んで本堂である清水の舞台
下を見下ろしてあ~あの感じは
知ってると記憶を呼び覚ますのでした。
境内をぐるっと回って、
本日の予定幕末へ戻ることに、
幕末維新ミュージアムへ向かいます。
このミュージアムの向かいに霊山護国神社があり、
坂本竜馬のお墓があります。
ミュージアムの中は、会津藩のことばかりで、
ここは会津なんではないかと錯覚してしまいそうでした。
会津は、日新館も会津武家屋敷も
白虎隊記念館飯盛山白虎隊の自害したところも
鶴ヶ城も行っているので観ていてとても面白かったです。
ミュージアムでは、
いまNHK大河ドラマ「八重の桜」の
主人公八重のことも多く取り上げていて
これからのドラマも見逃せないとますます興味を持ちました。
次にお向かいにある、
霊山護国神社で坂本竜馬のお墓に向かいました。
ここのHPによれば以下のように書かれている。
「謹みて当社は明治元年の創立に係り、嘉永六年米艦渡航以来の国論沸騰のさなかに在って、敢然衆に率先、尊皇の大義を唱えて世論を啓発し、機運到って征幕の軍興るやこれに従って諸方に転戦、身を持って維新の鴻業を翼賛しながら、その成就を見ずして中道にたおれ、一命を国に捧げたる志士の精忠を、宏謨成れるの日、畏くも明治天皇は深く御嘉賞遊ばされ、その霊を祀らんがために一社の創立を仰出されたのに始まるのである」
要するにお国のために戦った人たちを弔うところってことのようです。
三十三間堂にも行ってみたいと私の希望も入れてもらいました。
中には、たくさんの千手観音が祀られています。

建長元年(1249)火災で御堂が焼失し
その時かなりの仏像も焼失してしまったそうです。
文永3年(1266)には、再建されたそうです。
並ぶ仏像の中に、
自分と似たお顔があるかもしれないという話を
聞いたことがあるので、探してみましたがとてもわかりませんでした。
最期に、西本願寺

慶応元年(1865年)に壬生の八木家では
手狭になり第2の屯所に移転することになります。
その第2の屯所が、西本願寺だったのです。
新撰組が屯所として使用したのは、
西本願寺の北東にあった北集会所と太鼓楼でした。
今も西本願寺に残っている新撰組の使用した建物は、
太鼓楼だけとなっています。
大銀杏は、当時からずっとそこにあり、生きてきたそうです
ここで今回の京都旅行の日程を終了し、
新幹線で地元に帰る時間となりました。
テーマでまわるって意外と面白かったです。