結婚生活25年を迎え、
子供たちから二人で旅行してきたら
とプレゼントされ行ってきました。
6月15・16日一泊で京都
ただ回るのではなく、
テーマ「幕末」と決めて、
ゆかりの地を巡ってきました。
新横浜から新幹線でいざ京都
市バス1日乗車券500円バス路線図を見て、
目的地を見つけたら路線図の番号をつないで路線を決める。
京都のバスは、一停留所でも終点まででも220円。
このカードは、どんなにたくさんの路線乗っても
1日中500円なのでとってもお得。
最初に向かったのは、新撰組発祥の地。
前川邸、八木家、壬生寺。新撰組Wikipedia
(前川邸は、入り口しか公開されていませんが、八木家は中に入り見学でします。)
新撰組というと。
私の中では、近藤勇、土方歳三、沖田総司たちが
中心人物としか認識がありませんでした。
しかし、その前進の芹澤派という人たちがいたそうで、
なんだかこの人たちと一悶着あり、
芹澤派を近藤派が暗殺したという歴史があったらしい。
その時の刀傷が、八木家にそのまま残っていたりして、
昔は、なんでも殺して解決する時代だったんだなぁ。
昔って言っても、ちょっと前のことなんだよね。
そして、暗殺された芹澤達の葬儀は
壬生寺で近藤たちが盛大に行ったそうです。
墓今でも、壬生寺にあるのです。
その後、二条城へ移動 。
ここは、徳川家康が征夷大将軍に任命された将軍宣下と、
徳川慶喜が江戸幕府の終わりを告げる、
大政奉還が発表された場所でもあるのです。
いろんなお城は、復元されたものばかりで、
当時のままを見ることができたのは、初めてなのかもしれません。
入った途端の感動は、すごかったです。
ついこの前、東御苑を見てきたばかりだったので、
あそこもこんな感じになっていたのだろうとまた想像が楽しいものでした。
この日最後に回ったのは、
会津藩の本陣で会津藩士たちのお墓がある
黒谷金戒光明寺
ついた時には、雨が降っておりお墓詣りって感じ
なんでこのお寺が、
本陣に選ばれたのかというと金戒光明寺のHPに次のように書かれている。
一、城構えである。
徳川家康は幕府を盤石なものにする為に特に京都には力を注いだ、直轄地として二条城を作り所司代を置き、何かある時には軍隊が配置できるように黒谷と知恩院をそれとわからないように城構えとしているのである。黒谷に大軍が一度に入ってこられないように南には小門しかなく、西側には立派な高麗門が城門のように建てられた。小高い岡になっている黒谷は自然の要塞になっており、特に西からやってくる敵に対しては大山崎(天王山)、淀川のあたりまで見渡せる。因みに山内の西翁院にある淀看(よどみ)の茶席(重文)は、茶席より淀川の帆船を見ることが出来たのでこの名が付けられた。また、黒谷古地図によると浪華城遥矚(ようしょく)とあり大坂城まで見えたという。
二、要所に近い。
御所まで約二㎞、粟田口(三条大橋東)東海道の発着点までは一・五㎞のくだり、馬で走れば約五分、人でも急げば十五分で到着できる要衝の地であった。
三、千名の軍隊が駐屯できる。
約四万坪の大きな寺域により一千名の軍隊が駐屯できた。
本陣といっても戦国時代の野戦とは違い野宿ではなくきちんとした宿舎が必要であった。黒谷には大小五十二の宿坊があり駐屯の為に大方丈及び宿坊二十五ヶ寺を寄宿のため明け渡したという文書が残されている。
一通り回りいったんお宿にチェックイン。
ホテル平安の森京都
夕食は京懐石プランにしました。
早めの夕食だったので、まだ夜の時間は長い。
夜の京都へ繰り出さしました。バス乗り放題だしね。
花見小路 祇園、八坂神社、知恩院。
八坂神社や知恩院のライトアップは、とってもきれいでした。
八坂神社の狛犬さんなんだか、かわいかった 。
初日終了
子供たちから二人で旅行してきたら
とプレゼントされ行ってきました。
6月15・16日一泊で京都
ただ回るのではなく、
テーマ「幕末」と決めて、
ゆかりの地を巡ってきました。
新横浜から新幹線でいざ京都
市バス1日乗車券500円バス路線図を見て、
目的地を見つけたら路線図の番号をつないで路線を決める。
京都のバスは、一停留所でも終点まででも220円。
このカードは、どんなにたくさんの路線乗っても
1日中500円なのでとってもお得。
最初に向かったのは、新撰組発祥の地。
前川邸、八木家、壬生寺。新撰組Wikipedia
(前川邸は、入り口しか公開されていませんが、八木家は中に入り見学でします。)
新撰組というと。
私の中では、近藤勇、土方歳三、沖田総司たちが
中心人物としか認識がありませんでした。
しかし、その前進の芹澤派という人たちがいたそうで、
なんだかこの人たちと一悶着あり、
芹澤派を近藤派が暗殺したという歴史があったらしい。
その時の刀傷が、八木家にそのまま残っていたりして、
昔は、なんでも殺して解決する時代だったんだなぁ。
昔って言っても、ちょっと前のことなんだよね。
そして、暗殺された芹澤達の葬儀は
壬生寺で近藤たちが盛大に行ったそうです。
墓今でも、壬生寺にあるのです。
その後、二条城へ移動 。
ここは、徳川家康が征夷大将軍に任命された将軍宣下と、
徳川慶喜が江戸幕府の終わりを告げる、
大政奉還が発表された場所でもあるのです。
いろんなお城は、復元されたものばかりで、
当時のままを見ることができたのは、初めてなのかもしれません。
入った途端の感動は、すごかったです。
ついこの前、東御苑を見てきたばかりだったので、
あそこもこんな感じになっていたのだろうとまた想像が楽しいものでした。
この日最後に回ったのは、
会津藩の本陣で会津藩士たちのお墓がある
黒谷金戒光明寺
ついた時には、雨が降っておりお墓詣りって感じ
なんでこのお寺が、
本陣に選ばれたのかというと金戒光明寺のHPに次のように書かれている。
一、城構えである。
徳川家康は幕府を盤石なものにする為に特に京都には力を注いだ、直轄地として二条城を作り所司代を置き、何かある時には軍隊が配置できるように黒谷と知恩院をそれとわからないように城構えとしているのである。黒谷に大軍が一度に入ってこられないように南には小門しかなく、西側には立派な高麗門が城門のように建てられた。小高い岡になっている黒谷は自然の要塞になっており、特に西からやってくる敵に対しては大山崎(天王山)、淀川のあたりまで見渡せる。因みに山内の西翁院にある淀看(よどみ)の茶席(重文)は、茶席より淀川の帆船を見ることが出来たのでこの名が付けられた。また、黒谷古地図によると浪華城遥矚(ようしょく)とあり大坂城まで見えたという。
二、要所に近い。
御所まで約二㎞、粟田口(三条大橋東)東海道の発着点までは一・五㎞のくだり、馬で走れば約五分、人でも急げば十五分で到着できる要衝の地であった。
三、千名の軍隊が駐屯できる。
約四万坪の大きな寺域により一千名の軍隊が駐屯できた。
本陣といっても戦国時代の野戦とは違い野宿ではなくきちんとした宿舎が必要であった。黒谷には大小五十二の宿坊があり駐屯の為に大方丈及び宿坊二十五ヶ寺を寄宿のため明け渡したという文書が残されている。
一通り回りいったんお宿にチェックイン。
ホテル平安の森京都
夕食は京懐石プランにしました。
早めの夕食だったので、まだ夜の時間は長い。
夜の京都へ繰り出さしました。バス乗り放題だしね。
花見小路 祇園、八坂神社、知恩院。
八坂神社や知恩院のライトアップは、とってもきれいでした。
八坂神社の狛犬さんなんだか、かわいかった 。
初日終了