文法が間違っている可能性は十分にあるが、自分が言い慣れてしまっているので恥じることなくタイトルにさせていただく、エンジョイ・マイ・パラレルワールド。


ぼくはシュフである。
何故「主婦」と書かないのかと言うと、一人称が「ぼく」であることには全く関係しない。ぼくが日々率先してやっている主婦業の中で一番好きなのが料理で、「シェフ」っぽい響きに感じるし、なんだかその表記にたった今しっくり来たから「シュフ」と書いてみたまでである。


結婚5年記念日を迎えた2023年8月8日、ぼくは人生で一番の高熱にうなされていた。
インフルエンザにすらかかったことのないぼくが39度という記録を叩き出したのだからそれはそれはもう、体の全細胞からけたたましくサイレンが鳴り響き、なんというか一滴の血液すら無駄に出来ないような、ほんの少しの無駄な動きも許されないような、体の強張りがずっと続いていた。
それでも夫は相変わらず仕事へ行き、残業をして帰ってくる。となると、一歳も佳境、じんわりとイヤイヤ期に差し掛かっている息子の保護監督責任は100%ぼくにあるわけだ。高熱にうなされ、体がイマイチ思い通りに動かせず、頭が重たく、真夏だというのにエアコンを消して裏起毛のスウェットを着て毛布にくるまっても歯をガチガチと鳴らすぼくは、子育てを休むことは絶対に許されないのだ。
あ、さすがに元気真っ盛り一歳児が熱中症になるのでエアコンはまたすぐに付けました。


ボーーーーっとする頭で考える。
何故、この状況の妻を置いて、夫は仕事に行けるのか。
我が家は比較的、というか一般的に見てわりと仲の良い夫婦だと思っている。5年目だが一緒の布団で同じ時間に眠れる日があると嬉しいし、ごはんもできれば一緒のタイミングで食べたい。ひとりや、息子とふたりででかけた先で食べたものがとびきりおいしかったら、次は絶対に夫を連れて来ようって何度も何度も誓う。そしてそれを強制しているわけではないが、なんとなく夫もぼくに対してそういう行動や発言をしてくれている気がする。
だから、高熱が出た妻と仕事を天秤にかけて「ウ〜〜〜ン、仕事っ!」みたいな感覚ではないはず。
どちらかといえば、「それでも仕事に行かなければならない」もっと正直に言い換えるとするなら「それでも金を稼いで来なければ生活が困窮する」なのだ。


ということは。
ぼくが家にいながら、家事育児を適度に手を抜きながら(これは得意)こなし、隙間時間を見つけて(これが苦手)ちょっと在宅ワークをして(苦手)地道にお金を貯めれば(超苦手)、こういういざという時に夫に金を渡して「これを生活費に当てていいから、休んでくれ」と言いやすいのではないか。
そんな簡単なはなしではないのかもしれないが、仮にそうだとしよう。


しかし、これがまた非現実的なのだ。
まず、家事育児の手を抜くのはいいとして、その皺寄せは必ず数時間〜数日後の自分に襲いかかる。
それを捌くために在宅ワークをお休みすると、「明日でいっか」を許容することとなり、ぼくの場合それがいつの間にか一週間、一カ月、一年後…とだんだんただ働かずに手だけ抜くようになる未来がくっきりと見える。
そして何より自分の発する「地道に貯金」という言葉ほど信じられない言葉はこの世に無い。そんなこと思い付いたことは過去に300万回ある。我ながら良い案だと今これを書きながらも思っている。そして失敗してきた。そう。300万回も貯金に失敗してきているのだ。
少しも貯められないわけではない。ぼくも伊達に300万回貯金に挑戦していない。ちゃんと自分の貯金が崩れるパターンは把握している。
ぼくには「3万貯まったら美容院で全部溶かす」という謎の癖があることがわかっている。しかも、やめられないのだ。何故か絶対に3万貯まったタイミングの時、ちょうど髪がボサボサでどうしようもなくて自己肯定感サゲなのだ。行くだろ、美容院。


というわけで、安心してくれ。
この世界線ではぼくが家事育児をしながら隙間時間でちょちょいと在宅ワークで小遣いも稼ぐスーパーウルトラハイパーママになる未来は、絶対に無い。
ぼくはシュフ。「シェフ」に見間違えられるのを期待して、主婦をカタカナ表記にしてしまう、ちょっとイタズラで頓知の効いたただのシュフ。
別の世界線の自分に期待。



エンジョイ・マイ・パラレルワールド。