くたびれた句帳のうへに桜かな

 

剥落の波なき海や春北斗

 

朝桜隠れ下手なる富士の山

 

景気よく荒れ寺に咲く木瓜の花

 

はらはらと情を尽くして桜かな

 

朧夜や六道の辻照らしをり

 

モクレンや風の奏でるオフィス街

 

悩む身にすぐ絡みつく雨水かな

 

想ひ出はゴミ箱にあり春深し

 

廃線の一本杉の余寒かな

愛媛県生まれの僕は俳句を詠むことが日常化している。

上手に詠もうとか、そういうことはあまり考えない。

それを考えたら詠めなくなるからだ。

 

一時は上達を目指して著名な人の俳句の本を読み漁ったりもしたが

読めば読むほど俳句が自分から遠ざかっていくような気がした。

 

ある人が教えてくれた。

「俳句の俳の字は人に非ずと書く」

「ありのままの事象を捉えて俳句作りに没入すればいい」

それを教えられてからは「遊び感覚でいいじゃないか」と思えるようになった。

 

今は難しいことは考えず、五七五の中に思いつく限りの言葉を閉じ込める作業に没頭していると言ってもいいだろう。

兵燹に杉は残りて山桜(子規)