少し古い話になりますが、平成28年1月15日に、関西・歌舞伎を愛する会の事務所で、熱心な会員さんのために、「上方歌舞伎の古い資料を読む」の題でお話させていただきました。第二回目です。昨年の第一回目は「三都歌舞伎人気鑑」(昭和二年八月)という、役者の顔写真や屋号・紋・本名・得意役などを記した俳優名鑑の一枚摺を紹介しました。
 かつて『歌舞伎 研究と批評』に連載しておりました「一語一絵」のつづきです。昭和二年ですから、初代中村鴈治郎や十一代目片岡仁左衛門、五代目中村歌右衛門、二代目実川延若が活躍していた頃です。古いこともよくご存じの会員さんと、話がはずみました。片岡千代之助(十三代目仁左衛門)や中村扇雀(二代目鴈治郎)の、まだ幼さを残す写真に、みなさん見入っておられました。











 今回、二回目は、安政四年(1857)の「浪花役者内詠(なにわやくしゃ うちのながめ)相撲見立」という、役者の奥さん(妻妾)の見立番付を見ていただきました。
 相撲番付では力士の出身地を記す位置に、役者の名を小さく書いています。力士名のところに、屋号と女性の名前が書かれています。屋号はもちろん役者の屋号ですから、役者の奥さんの名前ということになるでしょう。
 西前頭筆頭の「片岡我童 松島屋しま」、東前頭二枚目の「嵐璃寬 葉村屋まつ」は、よく知られています。ともに初代中村歌六(播磨屋)の娘です。そのため播磨屋・松島屋・葉村屋が親戚になるという話につながります。中央の下、ひときわ大きな文字で出て来ますのが、五代目市川海老蔵(七代目団十郎)の奥さん、「多眼(ため)」です。
 ただし、全体としてはどこまで正確なのかはわかりかねます。正式な奥さんなのか愛人なのか。ある意味では無責任なものかもしれません。女性の名があって、役者の名がないものもあります。たとえば、西の方、三段目、「片岡愛之助(三代目) 松島屋まん」とありますが、その隣の「浪花屋むめ」は誰の奥さんだったのでしょうか。空欄になっています。当時は今より役者の屋号はずっと多かったのですが、浪花屋は思い当たりません。お茶屋の名のようにも思われ、意味深な書き方です。
 今は馴染みの薄くなった役者名も多く、感動がわきにくいかもしれませんが、よくもこんな摺り物をこしらえたものだと思います。一番下の段には「寡(やもめ、やまめ)頭取」の欄があり、独身の役者も並んでいます。また、中央、行司の欄には「後家」(寡婦)の欄もあって、おもしろいものです。まさに「内の詠め」で、歌舞伎そのものに関するものではなく、興味本位のものでしょうか。

 ただ、こういうものにも先例はありました。大阪の吉野家旧蔵で、現在は早稲田大学演劇博物館が所蔵しています『許多脚色帖』には、「役者内儀見立相撲」(享和三年〔1803〕)「役者内儀見立相撲」(文化八年〔1811〕)があります。
 また、武井協三さんの『江戸歌舞伎と女たち』(角川選書)で大きくとりあげられました役者女房評判記『有意亭有噺』(めいちょうはなし)という本もありました。

 今も昔もかわらず、芸能人の私生活に興味をもつファンは多かったといえるでしょう。

 今回の一枚摺は文字ばかりでしたので、次回(日時未定)は錦絵をご覧いただく予定です。