開口神社(大寺さん)見物



 10月20日堺まつりの初日、1時頃には阪堺線宿院駅につきました。まず喫茶店に入り、近所のことを聞いてみました。ここは山之口商店街をちょっとそれたところ。おばあさんが一人でやっている喫茶店。昔は流行っていたという名残はありました。おそらく店のママとともに古びていたったのでしょう。開口神社(あくちじんじゃ)は土地の人には大寺さんと呼ばれて親しまれていることが、よくわかりました。このあたりは甲斐町(かいのちょう)、ということは浮世絵師中井芳瀧もこのあたりに住んでいたことになります。
荻田清のブログ-開口神社本殿


 堺大寺は江戸時代の歌舞伎資料でよく見かける地名です。実は今、斉藤利彦さんの『近世上方歌舞伎と堺』(仏教大学研究叢書14、2012年2月)の紹介・書評を執筆している最中です。堺は女形の名優・二代目中村富十郎が天保の改革で、大阪を追われて住み着いた所です。この富十郎は大阪の役者として一世を風靡した人ですから、この件に関して堺に興味をもっていました。が、正直なところそれ以上の関心はありませんでした。堺の土地勘がまったくなかったために、実感がわかなかったのです。


 堺は文学散歩で与謝野晶子関係、千利休関係など見て回ったこともありました。南宗寺の伝家康の墓、芳滝の墓、大阪の郷土史家牧村史陽の墓を訪ねたこともあります。高校訪問で泉陽高校にも行ったことがあります。御旅寄席ものぞいたことがあります。それなのに、開口神社ははじめてでした。宮司さんとも挨拶し神社周辺もじっくり見ました。近くの菅原神社・宿院なども見て、この辺りが堺の芸能史に重要な場所だと
荻田清のブログ-開口神社横
痛感しました。