中井芳瀧・鳥井駒吉のこと

 平成24年10月20日()、堺まつりに出かけた。阪堺電車の宿院駅で降りて、開口神社(あくちじんじゃ)に向かう。3時から「旭堂南陵さんのビール談義」に出席。

ここで、15分ほど、堺で没した大阪の浮世絵師中井芳滝の話をさせてもらった。芳瀧は浮世絵から離れて、堺でどういう暮らしをしていたのだろう。画師としては本格的に肉筆画を描いていたことは川崎巨泉の文章からも窺えたが、わたしはそんな肉筆画は大阪歴史博物館で見たばかり。「堺には残っているはずです。あれば教えてください」「その芳滝の墓碑が南宗寺にあるのですが、それが無縁墓になりそうです」というのが目的だった。荻田清のブログ-アサヒビール空き缶と川崎巨泉の文章



 わたしの話のあと、アサヒビールの創業者・鳥井駒吉の話を、ご子孫の鳥井洋さんが話された。お聞きしていると、鳥井さんのお話と芳滝が絡んできたのだ。アサヒビールの昔のマークのデザインをしたのが芳滝だという。改めて川崎巨泉の「中井芳滝の片影」を読み直してみると、「酒造絵巻」を鳥井家にも描いたと出てくる。堺の酒造家一同から頼まれて、各家の印入り酒樽を大きな額に描き、酒の神様松尾大社に奉納した話も出ている。堺に有力な支援者がいたのだ。

 南陵さんに教えてもらったのだが、2011年10月に「初号アサヒビール復刻版(限定醸造)」が売り出されたという。空き缶をいただいた。知らなかった。うちは今でも酒屋からビールと酒を配達してもらっているが、いつもキリンビールだったので酒屋さんは教えてくれなかった。残念。ネット検索してみると、確かに紹介されており、そこに明治の「挿絵画家」中井芳滝デザインのラベルを使ったとも出ている。芳滝は確かに明治初期挿絵も残しているが、ここはやはり「浮世絵師」と言ってほしいところだ。
荻田清のブログ-新編大和錦、芳瀧画

 南陵さんの話、鳥井さんの話、大変勉強になった。観光ボランティアの人の「鳥井駒吉伝」の紙芝居もあった。