中井芳滝の墓がなくなる?


 堺の南宗寺は千利休の墓や、家康のものといわれている墓で有名です。大阪の郷土史家としてよく知られる牧村史陽さんの墓もあります。


 この寺に、江戸時代後期から明治の初めにかけて活躍した浮世絵師・一養亭芳滝(中井恒次郎)の墓があります。墓というより記念碑、供養塔というべきものかもしれません。棒状の石碑で穴が開いている、造形的なものです。浮世絵事典類にはっきり墓所は南宗寺と出てきますので間違いないでしょう。この墓が無縁墓として整理されようとしています。


 芳滝の名は残念ながら全国的に知られているとはいえません。しかし、上方文化に大きく貢献した人だと思います。江戸後期・明治初年の上方の歌舞伎役者を描いた浮世絵は多数残っています。それだけではなく、役者の評判記もありますし、見立番付も多数作っています。歌舞伎の世界に嵌り込みすぎて、後には歌舞伎から離れて、風景画・美人画へ。住居は大阪から京都へ、そして最後堺に移って、明治32年(1899)に生涯を終えました。


 著名人の墓が守る子孫のないまま無縁墓として整理される例は珍しくありません。それはその人の業績が忘れられていることを意味します。芳滝に心酔している一人として、広く伝える努力が足りなかったと、わたしも責任を感じていました。



荻田清のブログ-松鶴作大都会ぶし よし瀧画

荻田清のブログ-浪華名所 長堀 芳滝画




 そのため、堺に縁の深い方々には、このことをお伝えしていました。そんなことがあって、今年(2012年)10月20日・21日に行われます「堺まつり」の中で、講談師の旭堂南陵さんが、芳滝のことを堺のみなさんに話してくれるそうです。わたしも芳滝の著作物を持って、お手伝いに伺う予定です。