「大阪落語演題見立番附」の話①

 2011年10月から千里中央のよみうり文化センターで、「伝統芸能に親しむ」と題して、講座を担当しています。文楽編が終わり、2012年4月からは「上方落語」をとりあげることにしました。センターの意図としては、伝統芸能にはじめて接する人を対象に、ということでしたが、蓋を開けてみますと、詳しい方が多く見受けられます。予感はしておりましたが、話の準備はたいへんです。

 「上方落語」編では、1、落語の起源と江戸期の上方落語家、2、明治以降の上方落語の盛衰、3、上方落語ゆかりの地を訪ねて(道頓堀・千日前)、4、上方落語の現在、5、上方落語のネタと、5回終わったところです。あとは9月27日に国立文楽劇場の「上方演芸特選会」を受講生の方と見に行き、そのあと懇談会・感想会をもつだけとなりました。

 歴史は一応専門ですので、これまで他所でも話した話が中心でしたから、特に苦労はありませんでした。しかし、落語のネタの話は正直なところ、詳しい方もおられるだけに、どういう話にするか、迷いました。原話と現行落語の比較も面白いのですが、それでは江戸時代の文学講座のようになってしまいますから。

 古い落語への興味というところから「大阪落語演題見立番附」を、ていねいに読むことにしました。前田勇先生の『増補改訂 上方落語の歴史』のネタの分類を参考にしながら。

わたしの手持ちのものは「板元 吉本興行部」とある印刷物(縦27糎×横19糎)で、珍しいものではないと思われます。これは『大阪春秋』123号で肥田晧三先生が紹介され、その号の付録に拡大複製が付いているものを細工した複製と思われます。枠外の「大正八年納札会出ス」「補助 大阪 金川」「本表ニ洩れたる分多々可有之候に付 再応取調追て第二号発行進呈可仕候」の文を全て削り、中央の「板元 古今亭しん馬」を「板元 吉本興行部」に替えただけのものです。字体もまったく同じところからしますと、写真を撮って細工したものかと思われます。いつ、どういう事情でつくられたものか知りません。ただ「吉本興業」ではなく「吉本興行部」ですから、昭和初年あたりのものではないでしょうか。

大正八年のしん馬のものもさらに遡れば、明治44年の「落語演題見立番附」の焼き直しだということも知られています。


荻田清のブログ-大阪落語演題見立番附

 ていねいな文字ですから読みやすいのですが、変体仮名やくずし字が混じっており、多少読み方に苦労します。また、原本が書き違えているかと思われる箇所がいくつか見られます。『増補改訂 上方落語の歴史』のネタの分類をつけ、(  )でわたしの解釈も付け加えて、翻刻してみます。今後の参考になれば幸いです。