〈超古典落語の会プログラムより〉


御霊神社と芸能④

 狂言作者としての月亭生瀬 荻田  清

 この会のプログラムの表紙には、毎回『摂津名所図会』の御霊神社境内の図を使っています。右下の表門を入りますと、すぐ左手に茶店のような建物があり、その前に幟が立ち櫓があがっています。これが御霊の芝居です。明治十七年九月からの御霊文楽座のずっと前、江戸時代から市内の芝居小屋として名の知られたものの一つでした。古くは子供芝居も行われていましたが、安政頃からの番付を見ますと、これから道頓堀の大芝居の役者に出世しようかという、新進気鋭の役者が実力を競っています。



 今回特集の月亭生瀬が、御霊の芝居に関係した一枚の番付を紹介してみましょう。あと五年で明治維新を迎えようという文久三年(1863)八月、御霊の芝居で歌舞伎「猫怪談五十三駅」(ねこかいだんごじゅうさんつぎ)が上演されました。この番付に「作者」として月亭生瀬の名が出てきます。普通歌舞伎の作者は狂言作者といい、この番付でも三名の狂言作者があがっていますが、生瀬は別に、上段左端の目立つ位置に単独で記されています。この芝居は番付しか残っていませんので、内容はよくわかりませんが、題名から見て、市川猿之助さんが復活しました四世鶴屋南北の「独道中五十三駅」(ひとりたびごじゅうさんつぎ)の書き換えと思われます。「独道中五十三次」が「恋女房染分総」(こいにょうぼうそめわけたづな)の由留木家の物語などに猫化けを絡めたのに対して、こちらは今川家と斉藤道三の争いに猫化けを配したものらしいのです。


 この芝居に山下三虎が出ています。山下三虎とは軽業師・早竹虎吉のことです。落語「軽業」に登場する「わや竹野良一」の師匠ということになります。彼の役は中納言元氏、老女月ノ輪、実猫の化毛、百まなこ売りノ虎、傘一本足とあります。化け猫・化け物などケレン味たっぷり、軽業師の芸を存分に活かす芝居だったと想像できます。



歌舞伎の番付に生瀬の名を見るもう一つは、万延元年(1860)九月竹田芝居の歌舞伎「五天竺」です。「五天竺」はご存じの孫悟空の話。近年も「夏休み親子文楽」では、「西遊記」の題で親しまれており、人形遣いが宙乗り(上方の言い方では「宙吊り」といったりします)して喝采を浴びているものです。この芝居でも軽業師早竹虎吉改め山下三虎が出演しています。ということは、虎吉の出る奇想天外な芝居に、生瀬が傭われて臨時に狂言作者になったのでしょう。

 この二つの番付は手元になく、図版で紹介できないのが残念ですが、大阪府立中之島図書館にはあります。

 

(一部修正しています)