大阪に大津波が来た②

嘉永7年(1854)11月5日、昼七つ半頃(午後3時頃)、大阪に大津波が来ました。この時、出版された『大地震/大津波 末代噺の種』という本を紹介してみましょう(つづき)。

一枚摺を集めたものですが、その七枚目から十一枚目までの「大地震末代噺種」に大阪の様子が詳しく記されます。流言の混じっている可能性がありますが、4日5日の地震における大阪の被害の主なものは、

○新町の有名な揚屋扇屋の座敷が崩れる荻田清のブログ-天王寺

○新清水の舞台が西へ崩れ落ちる。

○天王寺の太鼓堂が崩れ、亀井の水の屋形が崩れる。そのほか境内の諸堂みな大きく損じ、五重の塔も少し傾く。

○玉造の観音寺の本堂が倒れる。

○寺町の寺々の墓所の石碑、八九分は転ける。

○難波の鉄眼寺の釣り鐘が落ちる。

十二枚目には近辺の様子が記されています。

○摂州三田は七十軒余り崩れ、怪我人も多い。

○堺は人家五六十軒崩れ、お堂やお宮の大破は数知れない。

○紀州や伊勢は大坂より揺れが激しく、殆どの人が野宿となるありさまらしい。

実はこの後の十三枚目以降が、江戸時代の出版らしいものですが、次回に。