70年代中盤から終盤にかけ、

欧陽菲菲(東芝/渡辺プロ)、

アグネス・チャン(ワーナー/渡辺プロ)

の成功をみて、
各レコード会社や芸能事務所が

積極的に台湾、香港などから

女性歌手をデビューさせていた

時期があり、
そのさきがけとして

CBSソニーからデビューした、

ホリプロ所属の、

台湾出身の優雅(ゆうや)の、
23曲(+カラオケ2曲)入りの

セレクション(2003年12月発売)。


あのテレサ・テンと

ほぼ同時にデビューしたのだが、

彼女と比べて、

日本語の発音が

かなりスムーズだったことと、
明るい笑顔が印象的だった

こともあってか、
なかなか路線が定着しない

テレサ・テンよりも早く、

デビュー時から人気が出ていた。


デビュー曲

「処女航海」(74年3月)の

ヒットにあわせ、5月には早くも、

全曲筒美京平作・編曲

(A面オリジナル・B面カバー)

によるアルバムが

発売されていることを見ても、
事務所とレコード会社の

力の入れようがわかる。


続くシングル「胸さわぎ」(74年6月発売)

もヒット、将来も有望だったのだが、

もともとそういう予定だったのか、
約1年の活動後に帰国。

 

現在でも母国台湾で

歌手活動を続けているらしい。

(★★★★)」(2007.3.20記)

 

優雅(ゆうや)さん

(台湾では「尤雅」さんというご名義。

読み方は同じです)は、

母国台湾で

すでに人気を得ていましたが、

日本での活動のために

74年に来日されます。

 

そして、

約1年間という短い間に、

シングル3枚、アルバム2枚、

コンパクト盤1枚を残して、

帰国されました。

 

シングル盤です。

 

コンパクト盤です。

 

ファーストアルバムです。

 

セカンドアルバムです。

 

事務所もレコード会社も

かなり力を入れていて、

テレビへの積極的な出演や

ラジオやレコード店でも、

頻繁に曲が流れていたと

記憶しています。

 

たしかどちらかの親御さんが、

日本での滞在経験があったので、

日本語が比較的スムーズだった

というプロフィールでした。

 

ご帰国後も台湾で活躍されていて、

この当時の日本語のナンバーを、

台湾語や日本語で歌唱されたり、

日本の名曲を台湾語や日本語で

披露されているようです。

 

デビュー曲の「処女航海」は

こんな曲です。

筒美京平さんらしい、

意表を突いたイントロが印象的ですね。

 

 

↓こちらは台湾のテレビ番組

だと思います。

いつごろ放送されたものかは

わかりませんが、

「処女航海」を、前半は台湾語で、

後半を日本語で歌われています。