「1960年代前半に活躍した、

元祖男性アイドルグループの

ほぼ全曲集2枚組

(96年7月発売)。


初期は洋楽のカバーを中心に、

後期はオリジナルソングを

主なレパートリーとしており、
漣健児の訳詩(作詞)による

「抱きしめたい」(64年4月)は、

日本ではじめての

ビートルズ・カバーとしても

有名な一曲。


名前のとおり3人組なのだが、

2度のメンバーチェンジがあり、
長沢純、高橋元太郎、高倉一志

でスタート。


高橋元太郎の独立後に

手塚しげおが、

高倉一志の独立後に

早瀬雅男が加入している。


初代メンバーで、

のちに演歌に転向した

高倉一志(藤健次)や、
なによりうっかり八兵衛こと

高橋元太郎の、

群を抜いた歌のうまさは、

今聞いても感動的。

 

解散後、

長沢純は司会業を中心とした

タレント活動に移行、

早瀬雅男は次のムーヴメント、

グループサウンズの

ビーバーズで、成田賢との

ツインヴォーカルで活躍、
子役時代に

矢車剣之助を演じていた

手塚しげおは俳優に復帰、
「太陽にほえろ!」で

ジーパン刑事を

射殺してしまう犯人役を

好演している。

(★★★★)」(2006.4.26記)
 

追記:

「1981年、東京有楽町の

日劇解体に伴う

「最後のウエスタンカーニバル」

をきっかけに、

テレビやイベント活動を中心に

何度か集結しているが、
オリジナルの3人が集まることはなく、
2期(長沢、高倉、手塚)および

3期(長沢、手塚、早瀬)の

どちらかであったためか、
手塚しげお逝去後は

まったく集まらなく

なってしまった。」

(2010年ごろ追記)

 

スリー・ファンキーズ。

 

「スリファン」とも

呼ばれていました。

 

近年になって、

長沢純さんが、

ジャニーズ以前の、

「元祖男性アイドル」として、

グループのことを

語ってくれるように

なりましたね。

 

在籍メンバー(5人)の

その後です。

 

長沢純さん:

司会業、個人事務所経営のほか、

歌の活動も積極的に

行っているようです。

 

高倉一志さん:

高倉健志→藤健次と改名され、

俳優、演歌歌手として活躍後、

もともとの所属事務所・

第一プロダクションで

五月みどりさんや

新沼謙治さんの

マネージャーを

務められていました。

 

高橋元太郎さん:

国民的時代劇

「水戸黄門」「大岡越前」に

長くレギュラー出演

されていましたので、

そちらの知名度のほうが

高いかもしれません。

俳優としてはもちろん、

歌の活動にも積極的で、

個人ではもちろん

「水戸黄門」関係者と一緒の

ディナーショーなどにも

多く出演されているようです。

 

手塚しげおさん:

グループ解散後、

俳優として数々のドラマや映画に

出演されました。

スリーファンキーズの再結成には

ほぼ毎回

顔を出されていましたが、

2004年に亡くなられています。

 

早瀬雅男さん:

ビーバーズ結成→解散後は

あまり表立った活動が

確認されていませんでしたが、

時折スリーファンキーズの

ステージに出演されていました。

 

結成当時は、

小柄で笑顔がかわいらしく、

抜群に歌がうまい

高橋元太郎さんが

最も人気があったようですね。

 

早くからソロ活動の話があったのか、

レコードデビューから半年足らずで

脱退してしまったのが残念でした。

 

↓「涙の日記」(1962年)

 

↓「ナカナカ見つからない」(1962年。

作曲はクレイジーキャッツの桜井センリさんです)

2012年、長沢純さんがお一人で歌われています。

 

 

↓1981年、日劇最後のウエスタンカーニバルでのステージです。