「女性アイドルの豊作といわれた

82年組のひとりとしてデビュー。


現在も主に、

タレントとして活躍中の松本伊代の、

デビュー曲

「センチメンタル・ジャーニー」

(81年10月発売)から

18枚目のシングル

「信じ方を教えて」

(86年8月発売)までの

シングル全A面18曲コレクション

(86年11月発売)。


華奢な体型と、

意外に低く、独特の歌声と、

これまた意外に勝気な性格

とのギャップがユニークで、
すぐにトップアイドルとして君臨、

バラエティや司会などもこなし、

長く多方面で活躍を続ける。


このアルバムは、

発売順に収録してあるので、

デビュー曲

「センチメンタル・ジャーニー」

をはじめ、
「ラブ・ミー・テンダー」

(82年2月発売)、

「TVの国からキラキラ」

(82年5月発売)など

初期のアイドル歌謡から、
尾崎亜美とのコラボレーション

「時に愛は」(83年11月発売)や、

「恋のKNOW-HOW」(84年2月発売)、

洋楽テイストの

「ビリーヴ」(84年11月発売)、

C-C-Bの関口誠人の曲

「Last Kissは頬にして」

(86年2月発売/作詞は松本隆)など、

時系列に沿って、
さまざまな曲調の楽曲を

器用に歌いこなしていく様子が確認でき、

通して聞いていて楽しい。

(★★★★)」(2007.1.22記)


私の記憶ですが、

松本伊代さんは、

レコードデビュー前から

事務所のプッシュが大きく、

レコードデビュー時(81年10月)には、

すでに大人気だったこともあって、

82年の新人賞は、

間違いなく総ナメだと

言われていたほどでした。

 

ところが、この82年には、

各事務所から

次々と強力な新人さんが

デビューされることになり、

いざ賞レースが始まると、

当時、大小含めて数多くの

音楽賞があったなか、

伊代さんはなかなか新人賞が

取ることができず、

年末の日本レコード大賞で、

ようやくはじめて受賞された

のではなかったかと思います。

 

この年は本当に激戦でしたね。

 

伊代さんは、

ご本人のご意向では

ないかもしれませんが、

同じレコード会社だった

C-C-Bさんたちと、

コラボレーションをされたり、

やはり同じレコード会社の

フュージョングループ

「カンガルー」さんたちと

一緒に活動してみたり、

このベストアルバムの

発売後になりますが、

フォークルの「悲しくてやりきれない」

のカヴァーをはじめとした

バラード調の曲を数曲だしてみたりと、

アーティスティックな活動に

接近したこともありました。

 

シングルとして発売された楽曲も、

同時期のアイドルさんたちと比較すると、
かなり積極的に

外部のライターさんとの

交流を図られていて、

さまざまな曲調のものが

残されていると思います。

 

ただ90年以降は、

シングルの発売がなく、
音楽活動からは

離れてしまったようですね。