貫井川跡を下る。下石神井〜豊島園、そして練馬城跡(豊島園跡)へ。令和6年9月7日(土) | お出かけ&ライブのブログ

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9月になり1週間、朝晩は涼しくなってきて秋の到来を感じさせる今日この頃。
そろそろお散歩街歩きを再開させる季節になって来たので今日は練馬区を流れていた石神井川の支流である貫井川の暗渠散歩へ。

ところが!
昼間は全然まだ涼しく無い、まだまだ夏の暑さが猛威を振るっている!
だから少しでも暑さから逃れる為に午後遅めに、16時前位に西武新宿線の上井草駅へ。
駅前にはガンダムの像。駅の発車サイン音もファーストガンダムのオープニング曲。
東京の西側の杉並区や練馬区は家から遠くて別世界感はあるが我が出身は杉並区、
この辺りは友人も多くいて、よく来ていた辺り。

今日の散歩の貫井川の源流へは上井草駅が近い。上井草駅から北上。
まずは千川通りで見つけた麺屋なつめへ。

まぜそば。
食べ終わったら追い飯を入れて2度味わえる。

今日たどる貫井川のルート。
実業之日本社刊、東京暗渠散歩より。


貫井川の水源、スタート地点は新青梅街道を渡り石神井消防署の近くなのだが、少し迷う。ネットなどに出ている貫井川暗渠散策の写真などを頼りに探し出した。
電柱のカーブミラーを頼りに。

この建物の間の青いネットがかけられた狭いスペースこそ貫井川の始点。

その先は町中に消えて判別不能、一旦新青梅街道の南側を少し行き再び北側に戻るのだが、何しろ痕跡がわからない。

この道だろうか?


少し手前の道で下石神井小学校前の道に移ってしまったが、貫井川は先程の道からこの小道になっている流路でクランク状に曲がり、下石神井小学校前の道に移る。

川跡の地図によると下石神井小学校の東側が流路、歩道部分だろうか?

そして下石神井小学校の先からようやく遊歩道の暗渠道が始まる。
練馬区の暗渠遊歩道の特徴は青いペイントがされているところ。

川跡であることを実感する段差。

この扉は暗渠化前からあったのだろう。
でなければ(暗渠)道との段差がきつすぎる。



遊歩道が途切れて一般道と同化。

再び遊歩道。
練馬区の暗渠道の特徴は青いペイントと言ったが、更にはっきりと水路敷と書かれてる。紛れもない川跡の証拠。

暗渠だから川は地下に健在、故に湿気が多いから苔むす。
これも暗渠道の特徴。

直角カーブ。暗渠道に多い。

旧早稲田通りを越えた南田中の辺り、今は住宅地になっているがこの辺りに昔は喜楽沼という池があった。順次埋め立てられて今は存在しないが。
沼というが実のところ人口に作られた釣り堀。

小学生の頃に通っていた学習塾の分校がこの辺りにあって、何度か行った事がある、その頃はまだ釣り堀が残っていたような覚えが。

今では全く喜楽沼の名残りも残ってないけど喜楽沼の名前は近くを走る関東バスのバス停の名前として残っている。

川跡は南ヶ丘中学校の敷地に沿うように進む。地図によっては学校内を抜けたりしているが、学校の設置で流路が変えられたのかもしれない。

ほどなく貫井川は環八通りに突き当たる。
笹目通りと環八通りの分岐点の近く。
まっすぐ直進すると笹目通り、右へ分岐するのが環八通り。
昔大学にバイクで通う際によく通った道だから懐かしい。
当時は右側に分かれる環八通りが未完成(細い道として存在していた)だったが。

環八通りを渡り、すぐに暗渠道は見つけられる。地図④辺り

水路敷のペイントが結構多い。

盛大に草が進出。水分豊富なのだろう。
一番茂っている場所は排水溝の蓋のある場所だった。



歩道部分が暗渠。

川の護岸の枠組みらしき跡がはっきり。



石神井東小学校の東南側は歩道部分になっている。

河川敷がコンクリートではっきりと。

橋の痕跡。 
地図⑤の場所

そして西武池袋線をくぐる手前、石蓋が僅かながら残る。
色々なネットの貫井川散策の記事を見ると酒屋の物置き場となっているが、酒屋らしきものは見当たらず、ビールケース的な物も奥の方にいくつかあるだけだった。
なおこの先は行き止まりと思われる。
地図⑥の場所。

迂回して西武池袋線の高架下を抜けて北側へ。

ほどなく再び環八通りに突き当たる。

環八通りの下はトンネル、川の暗渠もこの先は繋がってないだろう。

環八を越えて100メートルほど貫井川が続く。

地図のこの部分。

そして再び環八を越えて東側へ。

しばらく遊歩道が続く。



暗渠化前からの塀だろう。

護岸跡。

護岸跡

川跡の部分がブロック敷になっている区間。
地図⑦の辺り。

ちょっと横の公園で一休み。

段差がある道。一段高い右側が川跡。



右側の団地の辺りにかつては貫井池が存在したが現在は跡形も無い。
地図⑧辺り。

2つの道に挟まれた緑地帯のように川跡が続く。
この辺りは貫井川緑道として整備されている。

貫井川緑道。

目白通りを横断。
写真だと分かりづらいが、両側が上り坂で底の部分に貫井川跡がある。

目白通りの北側。
写真だと明るいが実際は薄暗くなってきている。

緑道にある遊具?
本当はもっと薄暗くてはっきり見えなかったが、スマホの性能?

一段低い位置にあるのがよくわかる。

道に同化、左側の部分か?
まもなく石神井川に合流する。
写真の奥、赤い幕のかかった祭礼の準備している辺りがもう石神井川。

そして石神井川に合流、これにて貫井川は終わる。
石神井川の対岸より合流点を見る。

川底部分が堰になっていて、小穴から水が注ぐ。
ただ、貫井川本流は下水道として処理施設へと向かうので石神井川には注がない。
この水は今まで辿って来た暗渠を流れていたものでなくてこの近辺の地下水と思われる。

この先、豊島園方面向かう。
石神井川に近い位置で並走するような貫井川支流跡を辿るがよくわからず、住宅地を抜けていく。

そして暗渠道発見。

あまり人が通らないのか、木が茂っている。
結構流路が複雑、先を見失う?

見つけた。

しかしほどなく行き止まり。この先は不明。

そしてすぐ近く、石神井川を渡り練馬城址公園へ。
かつてここに存在していた西武系の遊園地のとしまえん。閉園後に跡地は温泉施設の庭の湯、ハリー・ポッターのテーマパーク、そしてこの練馬城址公園に変わった。

としまえんは戦国時代に存在していた練馬城の跡に作られていて、練馬城の存在は忘れ去られていたがとしまえん閉園後に再び世に知れ渡るようになってる。


遊具や芝地に。

この辺りはとしまえんの端で、グラウンドとかあった辺りか?
遊園地時代にはあまり一般客が来ない区画。

石神井川に沿う、左はハリー・ポッターのテーマパークであるワーナー・ブラザーススタジオツアー東京。
今度時間ある時に行ってみたいけど。 
敷地の場所がとしまえん時代にはメインエリアだった辺り。

石神井川を渡る。

としまえん時代は入園口から入り、軽い下り坂を下り、この橋を渡った先に数々のアトラクションがあった。
アトラクションが視界に広がり、一番テンションが上がったのがこの橋だった。
ちょっとそのシーンを思い出しながら、来た道を振り返った光景(としまえん時代に入口から進んで来た時の向き)で撮ってみた。

としまえん入口から入ると目の前にこの高台があった。ここが練馬城のあった場所とされるが、工事中で特に案内板も無かった。
丘の向こうにはプールがあった場所。

としまえんの看板が残されていた。

何故にこんなにとしまえんの郷愁に浸ってるかというと、
としまえんは我が実家、出身地の一番近くにあった遊園地で、自転車でも行ける位の場所だった。だから小学生の頃合いから何度も、夏にはプールとか。
何十回行ったかわからない位の思い出の詰まった場所なのだ。

そんな場所でありながらも感慨に耽るでもなく、さっさと豊島園駅から大江戸線であっさりと帰るのでありましたwww