「火事場の馬鹿力」とか聞く。


人間は普段、氷山の一角と例えられるように、持てる能力のほんの一部しか使っていない。

何故そうなのかというと、それは個体の生存本能が肉体の限界を越えて損傷するのを防ぐために「リミッター」が働くからとか。
ただヒトとなると恐らく「思考能力」が一番の障壁となるかもしれない。

「思考」というのは物事の並行処理だと思う。
またこれはヒトが人足りうる最も顕著な能力だとも云える。

しかし、これが表現やスポーツ、など咄嗟の判断が必要なときこの「思考能力」は邪魔になることがある。
僕は特に、これは人前で何かをするときに感じることがある。

例えば音楽で即興をやるとき、一々譜面を追っかけるよりバックの音に反応した方が早い。
武道なら型がどうのより「何か」感じた方が早い。

ときにパワーだけ見た場合の話、チンパンジーを例にあげると、彼らは小さい頃は愛らしい動物だけど、大きくなると凶暴化する上に超怪力になるという。
とても素手で、人間では手がつけられなくなるらしい。
でも本当に人間では手がつけられなくなるのだろうか?

昔、江戸の大火の際、民衆が火から逃れんと避難している前に関門が憚り、びくともしないそれに絶望していた最中の話、ある一人のお侍さんが前にでてその閉ざされた関門をうんと押して開いたという。
このお侍さんのパワーってのはどうやって出せたのだろう?
他にも故・水木しげる御大が、支給のパイナップルの缶詰めを指で開けたとか。
こういう話を聞くと、人間というのはそこそこ生物のスペックも高いんじゃないかって思う。


こういう、ある意味スーパーパワーの開発というのは、僕にとっては凄い関心のあることだ。
これは何か突き詰めているときにその力を感じることがある。
そんなときの何とも言えぬ充足感も、また謎の感覚だ。