昨日、終末期のときに酸素投与をすると
むしろ苦しく感じることをアップしましたが


でも、これって
死ぬときのことだから
生きているときには
関係ないんじゃない?

と、思われた方。

いえいえ、そうでもないのです。

今日は私自身が経験したことを
書いてみようと思います。

15年前、1番下の子を産んだときのことです。

やはり、それまでの
上の子どもたちの出産のときの陣痛の痛みを思うと陣痛には不安がありました。

そんななか、お産もすすみ
痛みも強くなり、陣痛の痛みと、お休み時間の間隔が、3分おきぐらいに繰り返されてきた頃

一般的には
「痛い!痛い早くしてー!」
と、乱れますが

ある瞬間から、
痛みのときに
目の前が白くなり
温かな光に包まれて
とにかく気持ちよくて
ずーっとここにとどまっていたいという
恍惚感に包まれる感じがしました。
いわゆるこれは、エクスタシーです。

だから、1分ほどの強い陣痛の痛みがおさまり、3分ほどのお休みの時間になると、早く!早く!次の陣痛来て!
と、思うようになりました。

と、ここまでは
今までお産の気持ち良さについて話してきたことです。

では、なぜ、
そんなふうに気持ちよくなるかとゆーと

息を止めるからです。

痛いとき、「いたーい」と言うと、呼吸しますが、グッとこらえると息を止めます。

でも、自然の摂理の素敵なとこは
痛みで息をとめる時間は1分ほどなのがすごいです!

それ以上だと、低酸素になりすぎて
危険になるのでしょうね。
なので、痛みが遠のいたとき
深い呼吸で現実世界に戻してくれます😅

ほんとに、神様が作った仕組みに感謝です。


陣痛は痛い!
という不安が先にたつと
痛みに集中できなくなります。
つまり呼吸は荒く乱れます。

「痛みという不安」の思考が取り除かれると
安心して陣痛に向き合えて、
お腹の赤ちゃんと繋がり、
一緒にお産をしている一体感が
エクスタシーに繋がります。

自分自身
どうしてあんなに気持ち良かったんだろう
と、仕組みはわからないままでした。
だから、お産が気持ち良かったと、人に話すとき、「変な人に思われないかなー」と、躊躇しているときもありました。

でも、その仕組みを
まさか、終末期の呼吸を調べていて気づけるなんて✨

繋がっていますね✨



めちゃくちゃ余談ですが
世の中には
「窒息プレイ」というものがあります。
わざと頸動脈などを締めて
低酸素にして快楽を得るプレイがあるらしい。
でも、これで、死んでしまうことも
わりとあるみたいなので
よい子は真似しないようにしましょー。

おわり。



生きてるって素晴らしー✨

昨日買ったたい焼きならぬ
アマビエ焼き♥
 私の勤めるハウスでは


その方の疾患から酸素が必要と

医師が判断したときにのみ

在宅酸素の指示がでます。


それは、よりよく生きるために必要な酸素。


でも、命の終わりが見えてきたとき

酸素は邪魔になるのです。


病院のように

麻薬を使ったり

鎮静をかけてあげないと

苦しくなります。


それは、体から魂が抜けようとするとき

酸素が充分にあると

意識が戻ってしまうから

苦しくなります。


病院のように24時間医師や看護師が


いるわけではないし、モニターなどないので

強い麻薬は使えません。

なので、うつらうつらとした意識のなかで

ハッ❗️と、目が覚めたとき

口に当てられた酸素マスクをとってしまいます。


その時の、酸素飽和度は30%とかです。

(正常値は95%以上)


でも、お顔はとっても穏やかなのです。


でもでも、マスクを外したままにはできません。

再びマスクをつけると、顔をしかめます。

そして、また、しばらくすると、マスクを外しています。

そして、また、マスクをつけます。


でも、何回か繰り返すと

呼吸は止まります。


より良く生きるために

本人も必要と判断した酸素は

食事やお風呂┅

生きるための活動に必要な補助なのですが


医師から酸素の指示が出たとき

正直、私は

あーこの方の最期は大丈夫だろうか

と、少し憂鬱になります。


命の終わりが見えたとき

在宅酸素について

外す、外さない

というだけの問題でないことはわかります。

でも、外しておいたままにしてあげたくなってしまう自分もいます。


今後の課題です。

本人、家族、医師、施設で

話し合う必要がたくさんあります。


シェアした記事の2ページ目に

終末期の状態のこと

わかりやすく書かれていたので

ぜひ、ご一読を🙏

↓↓↓



わたしのお仕事の経験から
2年前に書いた記事

「最期をこんなふうに迎えられるなんて┅本当にありがとうございます。病院の先生が、こんなふうに引き受けてくれる施設は珍しいですよ、と、言われていたことが、よく、わかりました。」

9月のはじめに、
当ハウスでご逝去された方の
ご家族から頂いたお言葉。

持病で入院されていた方のご主人から

いま、コロナだから
入院している妻に会えない、
退院させて一緒にいたい
(当ハウスは、感染対策をしながら、終末期の面会は、なるべく制限をしていません。)
という思いを叶えるために
施設に戻るためには
自ら飲んだり食べたり出来ない代わりの医療を諦めることが必須でした。

つまり、退院したら点滴や、鼻から栄養のチューブを入れないで過ごす。ということ。
(夜間、ナース不在なので、医療的な対応ができないため)
ご家族にとっては辛い決断でした。

といっても、一切口にしない
というわけではなく
ご本人が希望されたら、ゼリーなど
飲み込みやすいものを
少しだけ介助していました。
その度、ご家族は喜んでいましたが
施設ナースとしては、誤嚥、窒素のリスクを抱えながらの介助でヒヤヒヤでした。

でも、それは、生命を維持するには
全然足りない量
だんだん衰弱していき
一口入れると
吸引する頻度が増えていきました。

最期のときが近づいてきたとき
夜中なのに
ご主人を呼んでくれた介護スタッフ

それから、数時間
ご主人と、我が子たちに見守られながら
息を引き取られた奥さま

ご出棺のとき
冒頭のお言葉を
ご家族から
いただきました。

こちらこそ、ありがとうございます。
ご本人とご家族が穏やかに
最期をすごすお手伝いができて感謝しております。
と、お返事させていただきました。

わたしが、看護リーダーになってから
病院で亡くなった方は1割に満たず
他の方は、ハウスのご自身のお部屋で
でお看取りさせていただいてきました。

この頃、お看取りさせていただくとき
感じるのですが
介護スタッフが自ら判断して
行動してくれることが増えました。

前は、「それは、リーダーじゃないと、ナースじゃないと、私たち違うからできません。」
という雰囲気があったのですが
↑にあるように
今回、夜間に私に電話相談なしにご主人を呼んでくれた介護スタッフにめちゃくちゃ感謝しました。

もちろん、事前に
○○な状態になったら、夜中でも家族呼んで❗️
と、共有はしてありましたが、
なかなか、いざとなったら
ナースに判断してもらったりしたいし
勇気でないものです。

わたしが目指して実践している
生きることも
死ぬことも
普通のこと
でも、私に関わってくれる人たちには
瞬間瞬間後悔のないように
満足できるように
無理せず
お手伝いしたい✨

そんな思いが
じわりじわり
浸透しているように思います。

写真は土曜日の夕方の空
天使のはしご✨