お正月🎍
友達宅におよばれしたり

ふわあっとして、、、気が付けば
もう〜8日
『ブギウギ』も、もう15週

毎週土曜日は


先週は

上海で

軍が支援する音楽会で

羽鳥善一が音楽監督


中でも羽鳥先生の

『夜来香ラプソディ』が大好評

音楽会は見事成功だったが


日本の敗戦を知ります



羽鳥先生は敗戦を上海で



戦争って

戦争に無縁の人も

容赦なく捕らえるのかガーン



私の終戦は4歳でした



今でもあの夜ははっきり覚えています

空襲警報がなって

家の庭の防空壕へ

寝てしまってたんね


気がつくと母にほっぺをつねられて目が覚めたー

(後で母は言ってました

 ゆらしても起きなかったって) 


母におぶわれて外へ

道の両側の家は激しく燃えてて

母は夏布団?を(その頃各家の前に石の水溜が)

濡らし頭から被って逃げたー


戦争前の我が家は

和歌山市から大阪に通じる北島橋への

広い通りにあり北島橋は近くで


母は北島橋の下に逃げました

でも〜人がいっぱいで

兄(小学1年)と私

3人だからって、入れてくれなかったの


母は和歌山市駅の広っぱへ

そこに大きな防空壕が

でも、そこも人、人で

私はおじいさん?かの頭の上に載せられました


その後はどうだったかな?

気が付けば朝に

空襲は終わってました


兄は道傍の黒焦げの人も見たと

私は市電の線路のクニヤクニヤを見たなあー

母達は私に見せないようにしたのかな?


兵隊さん姿の父が来て

リヤカーに乗せられて田舎の疎開地へ

途中アメリカのB29?が低飛行で

その度に道脇の溝に隠れて

やっと疎開地へ


後で母は私が泣かなかったから

背中で死んでると思ってたって


どれだけひどかったかー

兄の靴底も履いてた足袋の底もすっかり

焼けて無くなってたんだって


後ほど父の話しだと

北島橋の下に逃げた人達は

熱さで大勢亡くなったそう


私達も橋の下に入れてくれてたら、、、

どうだっんだろー


命って、、、運命って、、不思議


さあ〜

戦争も終わったー『ブギウギ』

どんな展開になってくるのかなー、

羽鳥先生は心配だなあ〜



明日からの『ブギウギ』

福来スズ子と羽鳥善一と

そして

茨田りつ子

李香蘭の歌は 


やっぱり気になる羽鳥先生ショボーン



ちょうちょ和歌山の片隅からちょうちょ